真己は少しでも私たちと一緒に食べるご飯をおいしいと感じてくれていただろうか?父は、私たちが楽しいと感じているのだから真己も同じ気持ちだと言っていたが。一緒にいることが当たり前で、意識することなどなかったのだが……私たちの関係って、一体何なんだろう?
一度、真己との再会後に、父が「真己くんが相手だったら父さんは安心だ」と言っていたことがあった。そんなことを考えてもいなかった私は、動揺するばかりでうまく処理が出来なかったが、周りから見たら付き合っているように見えたのだろうか?
確かに真己は優しい。でも、ここで思い出して欲しいのだ。真己は根っからのお人好しであることを。
異性の話が中心になるお年頃の中学生時代だって、真己は密かに女子の間で人気があった。誰に対しても優しく接するので、私への行動も特に意味はないのだと思っていた。
再会のきっかけとなった一年前の夏も、ナンパされて困っていたのがたまたま私だったというだけで、真己だったら違う人でも助けているはずだ。
でも、あの時は本当に嬉しかったなぁ。ナンパから助けてもらったのもそうだけど、それ以上に真己に会えたのが嬉しかった。何せ、転校してから一度も連絡をとっていなかったから。
私は、順調に行けば大学卒業を一年後に控えていた春に、両親への懸命の説得で一人暮らしを始めることにした。すごく中途半端な時期だとは思ったが、大学までの道のりが遠く、後二年近くも我慢することは嫌だったのだ。決して両親が嫌になった訳ではないと強く主張したら、最低でも月に一回は実家に帰ることを条件に許してもらえた。
その日は無性にコンビニ限定のデザートが食べたくなり、22時を回っていたのにもかかわらず、着の身着のまま歩いて5分のコンビニへ行った。
50mくらい先にコンビニの明かりが見えた頃、ナンパをされた。歩道側に車を寄せつつ、ターゲットの女性の歩調に合わせて車を進ませる、いわゆるナンパ車である。
ウィンドウが開き、中からいかにもスケベそうな男が、いやらしい笑みを浮かべて私に声をかける。
「ねえねえ、一人? それなら、ちょっと俺達と話でもしよーよ」
私は露骨に迷惑そうな顔をして早歩きで向かう。しかし、相手は車なので速度調整は簡単だ。
男は返事のこない質問を2、3繰り返し、とうとう車の中に引っ込んだ。
あー、よかった。と思ったのも束の間、10mくらい先で車を止め、助手席に座っていた──声をかけてきた男が降りてきたのだ。
予想外の展開に、はっと足を止める私。ちょっとしつこい? この人たち。じゃなくて、こういう時どうすればいいんだっけ? 逃げる? どこに? コンビニは男の後ろだ。
少々パニック状態の私は、色々と考えるが足を震えさせるだけで何も出来なかった。絶対話だけで終わるはずないもの。その後のことは想像もしたくなかったので、考えを断ち切った。
どうしよう……怖い! 後は何も考えられなくなった。
一歩後ろへ足を引いた。とにかく車が入れない所からアパートへ帰ろう。もうそれしかない。
「おいおい、逃げんなよ」
くるりと踵を返すと、突然白い壁が出来た。そして私は避けきれずにその壁へ顔を埋める。……この温かさは、人間だ!
「ご、ごめんなさい」
慌てて謝るが、彼は「いや、俺の方こそ」と言ったきり口をつぐみ、私を見つめた。
そして視線を私の背後へと移し、一歩前に出る。
「何? 何か用?」
降りてきた助手席の男に向かって男性はそう言い放つ。すると、明らかな動揺を見せながらナンパ男はそそくさと車内へ戻った。意外にもあっさりと引き下がった男達は、排気音を鳴らして夜の街へと消えていった。
「あの、ありがとうございました!」
私は恐怖と、ある期待に高鳴った鼓動を隠すように深々と頭を下げる。
もしかして、もしかしてなんだけど。
「無事でよかったな」
聞き覚えのある声に私は勢い良く顔を上げ、救世主を凝視する。やっぱり……真己だ!
喜びと驚きで、この時の私は余程すごい顔をしていたのだろうか、今度は真己が眉をひそめながら私を見つめた。そして数秒後、驚いた表情を浮かべて問いかけた。
「あれ……? 菜々子?」
そうそうそう! 私は返事の代わりに何度も頷く。
「あはは。変わってないなー」
真己こそ、その笑顔全然変わってない。子供みたいににこーって笑うの。怒られるから本人には言えないけど。
それから少しその場でお互いの近況などを話し、今の目的地が同じことから共にコンビニへ足を運んだ。
真己は高校を卒業してすぐに調理師の免許を取り、お母さんのお店を手伝っているそうだ。いずれはあとを継ぐ気でいるらしい。
コンビニへ寄ったのは、うっかり切らしてしまった食器用洗剤を買うためだと言っていた。お互いの買い物も終わり、久しぶりの再会に気分が高揚していたこともあって、おつかいの帰りだということをすっかり忘れていた私は、これから部屋へ遊びに来ないかと誘っていた。
真己はちょっと考える仕草をとって、「少しなら」とOKを出す。私はまるで子供のように歓喜の声を上げ、スキップする気持ちで歩き出した。
アパートに着くまではおばさんのお店の話になった。引っ越す前に勤めていたホステス業ではなく、居酒屋風の小料理屋を営んでいるそうだ。お店の名前は「凛(りん)」。場所はアパートから10分以内にあるそうだが、住所を聞いてもわからなかったので、明日連れて行ってもらうことになった。
「あ、ここなの、私の部屋。ちょっと待っててね」
鍵を探す私に、真己は歯切れ悪く口を開く。
「あー……悪い菜々子。やっぱり帰るよ」
「え! 何で?」
何か気に障ることでもしたかな? 突然のお詫びに声が上(うわ)ずった。
「店忙しいの忘れてた。また今度にするよ」
そうだった! お店の買出しに、真己は来てたんじゃない。
「ごめんね、私そそっかしくて。今度、絶対来てね!」
「ああ。じゃあな」
手を振って一時の別れを告げると、私は真己の背中を見送った。
階段前で真己が早く部屋に入るようにと合図していたので、一旦部屋に入る振りをして様子を伺った。私は帰る人を見送るのが好きなのだ。真己が階段を下り始めたことを確認すると、手すりにのっかるようにして出てくるのを待つ。振り返るかな? そのまま行っちゃうかな? と考えるのもまた一興。
真己は……振り返った。少々呆れた顔をしていたけど、手を上げてくれたのだから、そんなに気分を害してはないだろう。
「う、寒い」
姿が見えなくなっても、しばらく真己のいた場所を眺めていたせいだ。初夏なので、夜は半袖では寒いくらいだった。
腕をさすって、部屋を出たときとは違う格好だったのを思い出した。半袖のTシャツを着て出たはずなのに長袖のシャツを羽織っている。真己が気遣って自分の着ていたシャツを貸してくれたのだ。
そっと袖の匂いを嗅いでみた。これが真己の匂いなんだぁ……はっと我に返った私は、自分が今したことに急に恥ずかしさを感じ、慌てて部屋の中に入った。
たった数十分だったのに、色々あったなぁ。
近所迷惑かと思いつつ洗濯を始めた私は、明日の楽しみと昔の懐かしさの両方を感じていた。