言う相手が間違ってても。言える場所があるって大事なことだよ。

彼女は言った。「男が怖い」と。
次に「いなくなっちゃえばいいのに」と続けた。
そして最後に「ひどいこと言ってごめんなさい」と、俺に謝った。

言う相手が間違っていることも、そんな男ばかりでないこともわかっていると、彼女は言った。
でも、どうしても考えてしまうとも、彼女は言った。
男を利用した理不尽な女の攻撃を受け、どうしようもできない子供という立場を悪用された彼女は、そんな日々を『耐える』しかなく、自分が悪いと責め続けていた。

「いいじゃないか、言う相手が間違ってても。言える場所があるっていうのは大事なことなんだぞ」

そう言うと、有羽ゆばは呆けた顔をして俺を見つめた。何を言っているのか理解できないようだった。

「人に頼るっていうのは、何か頼み事をしたり、力を借りたりすることだけじゃない。こうして気持ちを吐き出すこともそうだ。お前はもっと人を頼れ。少なくとも俺は、お前に頼られたいと思ってる」

「い、いいの?」そんなことをしても、と救いを見つけた瞳で問いかけてきた。
「いいよ」はっきりと答えた。

「だって、嫌じゃない? 迷惑じゃないの?」
「嫌でも迷惑でもない。じゃあお前は、俺が頼ったらそう思うのか?」

ひどく驚いた顔をして、彼女は無言のまま首を2,3度横に振った。

「思わない。反対に嬉しい」
「なら、俺と同じだ」

泣きそうになっている顔を見て、思わず頬を緩ませた。
それを合図とするように、有羽は顔を歪ませ、大粒の涙を零す。

「う……うえええええーん! 何でそんなに優しいのー……う、ぼえええええええー」

有羽ゆばは、変な擬音を発しながら子供のように泣きじゃくった。
途中、「ありがとう」や「ごめん」と言い、あとはよくわからない単語も口にしていた。
頭をぽんぽんと軽く叩くと、有羽は顔を上げることも泣き止むこともなく、そのまま俺にしがみつく。

今までの思いの丈をぶつけるように、泣き続ける有羽。俺は黙って、けれどもしっかりと彼女を抱きとめた。それから自分にできることと、これから解決できることを考えた。
有羽が言えるようになったからとはいえ、それ自体が解決しなければ何も変わらない。また耐える日々だ。そんなことを思った。

「……兄ちゃん、ごめん」
「? 何が?」
「鼻水、くっついちゃった」
「おま、何だよそれ」

予想外の言葉と姿に、吹き出した。それを見て、有羽ゆばはぐしゃぐしゃになった顔をさらに歪めて笑みを浮かべる。

「もう、このまま拭け」と、自分のシャツを引っ張り、有羽の顔を拭いた。
「ちょっ! 兄ちゃん、雑!!」

そしてまた視線が絡むと同時に吹き出した。
以前のように元気な有羽がそこにいた。ひとしきり笑った後、有羽は穏やかに笑ってこんなことを言った。

「ありがとう、兄ちゃん」

それにはただ笑い返した。

「でも、頼ってばかりでいいのかな? 兄ちゃんは大丈夫? 倒れたりしない?」
「お前一人に頼られたくらいで倒れたりしないよ」
「うーん、それはわかってるんだけど……兄ちゃんには、そういう場所はあるの?」

なるほどな、と思うのと同じく、自分よりも他人を優先させる有羽ゆばに少しだけため息をついた。

「大丈夫だよ。気にするな」
「……そっか。頼りないかもしれないけど、私にできることがあったら言ってね」
「ああ」

答えながらも、「そうだな」とふと思いついた。
もしかしたら、俺が頼めばいいんじゃないか?このままその場所──感情を知るために入った劇団にいて、有羽にとっていいかと問えば、答えはNOだ。それよりも、もっとお互いがよくなることなんていくらでもある。

「お前、これからもそこに居続けるのか?」
「……ううん。来週の日曜日に最後のテストがあるの。出だしとラストと人物設定などは変えずに3ヶ月間で中身を作り上げた創作劇のチーム対抗戦みたいなテストで。それが終わったら辞めようと思ってる。もう、先生にも話してあるんだけど、皆で作り上げたものだから最後までやりたいんだ」
「そうか。それ、俺も見に行けるのか?」

何となく聞いたことだったが、有羽ゆばはひどく驚いた表情を浮かべた。

「もしかしなくても、兄ちゃん心配してくれてるの?」
「何でそういう答えにくいこと聞くんだよ」

そういうところはよく気付くよな。と顔に出ていたのか、有羽はくすくすと笑う。

「中に入れるかはわからないけど、始まるのは18時。私がやるのは最後だから20時から20時半だよ。終わりは21時くらい。着替えはなし……で、大丈夫?」
「ああ、十分だ」

今起きた問題が解決したとはいえ、何もしない保証はない。そいつらに魄がとりついているなら、最悪な結果を迎える可能性の方が高い。

俺が決着をつけてやる。
有羽の笑顔を見て、そう思った。

──智孝と有羽

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