「D1だ。気をつけろよ」
「了解」
舞台の袖に裏方として様子を見ていた伊藤智孝は、簡単な英数字でそう指示を出した。
多種芸術講演会と称したイベントで、中国の舞を踊るような衣装を身につけた玖堂佑羽と山緒里紗は、扇子を手に、どこか艶やかな舞を披露しながらも、見えないように装着されたマイクで返事をする。
二人が舞台の両端に分かれた時、それは起こった。キラリと客席から光が放たれた瞬間に、空気を裂くような速さでフォークが投げられたのだ。
何が起きたのか理解するまでの間に、もう一つ今度は佑羽に向かってナイフが飛んでくる。ざわつき始めた会場内だが、先程の指示により、里紗は踊りの一部のように舞いながら『D1』と呼ばれたテーブルの前に立ち、バレーボールのレシーブをするかのように両手を組んだ。
刹那に宙を舞う踊り子。綺麗に弧を描いて着地すると、佑羽は持っていた大きめの扇子を広げ、テーブルにあったフォークを『D1』の喉元に突き立てた。
「おじさま、私達を味見しようとしたって無理よ」
佑羽に『おじさま』と呼ばれた男のやりとりは、照明の関係から扇子に映る影絵のようだった。イヤホンを装着している智孝や里紗、男の周辺にいる人物以外にその会話は聞こえていないだろう。妖しげな雰囲気も演出の一部と思われたかもしれない。
佑羽の気迫におされた男は、降参の意を表すように両手を肩の位置まで上げる。
「は、はは、冗談だ」
「私ね、今すっごくお腹すいてるの。またこんなことしたら、これでおじさまを食べちゃうよ?」
クッと少しだけフォークを突き上げると、男は顔を引きつらせながら小さく呻いた。
重なり合う二つの影の間で、ほのかに光が発せられる。
あいつが今回の任務のターゲットか? 訝しげながらも、今し方仕事の一つを終わらせた佑羽の様子を見つめた。
「ふふ、冗談よ」
パンと音を立てて扇子をたたむ佑羽。反対側のテーブルで扇子の代わりに天女を思わせるような布で観客たちにパフォーマンスを広げていた里紗は、それを合図に舞台へと戻る。
演奏の終了と共に最終の立ち位置でポーズを決める二人は、お辞儀をした後に手を振りながら舞台の袖を後にした。
「やりすぎだ」
「えへへ、ごめんなさーい」
呆れるように注意すると、佑羽は悪びれる素振りも見せずに軽く謝った。
それよりもと、『D1』が今回のターゲットであったのかを尋ねると佑羽は少し考える仕草をとった。
「ほんの少しだけ魄の気配はしたけど、違うと思う。お酒の勢いを借りてって感じだった。それより気になるのは会場の雰囲気かな。建物全体がなんか異様だよね」
それは自分も思っていたことだった。会場内というよりは、建物自体がまるで生物であるかのように重苦しい空気を放っていた。
少し、調べてみるか。
他にも会場内では仲間が潜入していることから、智孝は公演終了まで建物内を見て回ろうと思い、それを二人に告げる。
「じゃあ、着替え終わったら連絡するね! 兄ちゃんが調べられない所はお任せを」
佑羽がおどけてそんなことを口走る中、演目6番が始まった──