06.泣いてる場合じゃない。何とかしなきゃ。|佑羽

 体が引き裂かれそうな痛みと熱だった。
 どこか懐かしくもあり、思い出すと胸が苦しくなる痛み。
 それは、大切な人との別れの合図。遠藤えんどう遼太朗りょうたろうの命のともしびが消えたと感じた恐怖。二度とは体験したくないあの出来事とそっくりだった。

 朧が長命になる妙薬として様々なところから狙われていることは知っていた。言守として活動できるように訓練している間でも、それは認識していることだった。
 でも、いざその刃が自分に向けられた時の恐怖は想像もつかないことで。殺意というものは、例え武器を手にしていなくても、それ自体に拘束する力があった。身が凍る思いとはこういうことなんだと、頭の片隅で思い浮かべる自分がいた。

「佑羽、走れる?」

 遼太朗の声で我に返った佑羽は、震えなのか区別できないほど小さく何度も頷いた。
 立ち上がろうと右足に力を入れると、利き腕に激痛が走った。構わずそのまま踏ん張ると、遼太朗が心配そうに手を差し出す。

「ありがとう。大丈夫」だって、私の体の中には朧があるんだから。その言葉は口から出されることなく飲み込まれた。なんとなく、言ってはいけない気がした。
 つい先程その事実を明かした時の遼太朗を思うと、言えなかった。なぜかはわからない。でも、自分よりもショックを受けていた遼太朗に言えるわけがなかった。

 朧があれば、ちょっとした傷ならすぐに癒える。致命傷を負ったとしても、命を落とさずにいられるほどの回復力をもつことができた。
 30分ほど前に受けた傷は、通常ならば完治するまでに数ヶ月はかかるだろう。確かに痛みは強い。だが、自分の足で走るに耐えられるほどになっている。そして、一瞬でも出せたあの光。これが朧でなければ説明がつかない。

「やっぱり、狙いって私たちだったのかな?」

 闇の森の中を走りながら遼太朗に尋ねた。彼は静かに肯定する。
 敵は朧を欲していた。それを扱う言守を一人でも確保できればよかったのだろう。だから言守のシステムを利用した。
 それだけのことだ。
 それだけの……こと。

「──っ!!」

 突然、鋭い痛みが左のふくらはぎに走った。先の尖った木の枝が土に刺さっている。
 遼太朗も足を止め、息をひそめて辺りを見渡す。背中合わせに立ち、神経を研ぎ澄ませた。
 1、2、3……
 考え事をし過ぎた。いつの間に囲まれてしまったのだろう。

「佑羽、ここは俺が食い止める。何とか隙を見つけて逃げて」

 不意に遼太朗が囁いた。

 

 何を言ってるの? そんな思いで視線を向ける。
 遼だってさっきの戦いで力を使いすぎてる。いくら強くても、命は有限だ。
 だって、そんなに息を切らしてるじゃない。そんなに大量に汗をかいてるじゃない。いつもと違っていくつもの傷を負ってるじゃない。何言ってるの? 死んじゃうじゃない。
 やっとの思いで発した言葉は「やだ」の二文字だった。

「遼だって死んじゃうんだよ? 一緒に帰ろう」

 願望も含めて言った。
 足手まといにならないから。頑張るから。遼が私を生かしたいのはわかる。でも、私だって同じ。遼に死んで欲しくない。
 恐怖と、嫌な予感が体の感覚を支配しているようだった。疲れて体力の限界を感じているのに、妙な高揚感がある。じっとりと汗が滲む。じりじりと真綿で首を絞められているような圧迫感の中、敵は動いた。
 自分たちを中心に、木の枝が一斉に飛び交ってくる。
「ふっ」という息遣いと共に発せられる眩い光が闇夜を駆け巡った。
 それは木々だけでなく、周りにいた敵をも吹き飛ばした。あちこちで呻き声と地面に突っ伏す音がなる。
 遼だ。すごい、さすが──
 喜びの声を上げる直前、耳を疑う声と背中に重圧がのしかかった。

「……っあ!」

 それは私のだったのか、遼のだったのかわからなかった。
 遼の重みに耐えられなかった私は、彼の下敷きとなって倒れ込んだ。
 痛い。

「……遼?」

 重い。

「遼? ねえ、どうしたの?」

 怖い。
 返事のない恐怖で、頭の中に警告音が鳴り響く。呼吸が乱れる。
 重みから何とかして抜け出し、彼の体に触れる。声をかけても、体を揺さぶっても、何の変化も見られなかった。

「ひっ!」と情けない声が出た。
 彼の脇腹からとめどなく流れる液体。それは生温かく、生臭く、佑羽の手を赤黒く染めた。

「遼──遼!!」

 彼の名を叫ぶと、ぷつんと糸が切れたように涙がこぼれた。
 泣いてる場合じゃない。何とかしなきゃ。そう思っても、涙は止まらなかった。
 彼の両脇に腕をくぐらせ、引きずるようにして後退する。「しっかり」と自分を奮い立たせるためにも言った。
 だけど、膝は笑うばかりでちっとも歩みが前に進まない。

「やだ……やだあ」

 涙が止まらなかった。
 それを拭うこともせずに、懸命に足を運ぶ。脱力している遼太朗が重い。怖い。どうしていいかもどうすることもできず、足がもつれた。
 膝枕で眠る遼太朗に祈るようにしがみつく。
 既に鼓動は消えていた。

 その時、佑羽の中で何かが沸き起こった。
 悲しみ、怒り、憎悪、恐怖──様々な感覚が一度に押し寄せ、全身が膨れ上がるような熱さと痛みの後、佑羽は意識を白い闇へと投じていた。