2月14日

玖堂有羽(くどう ゆば)は学校の門の壁に寄りかかりながら、自分の吐く白い息が空中に霧散(むさん)していく様子を眺めていた。

「(子供の時は吐く息の大きさを競っていたっけ)」

懐かしくなって実行しようと大きく息を吸い込む。しかし冷気が肺の中に入り込んだ刺激で大きく咳(せ)き込んでしまった。
彼女がごほごほと苦しそうな咳をしていると頭の上から少し心配そうな声が聞こえてきた。

「大丈夫か?」

咳が治まったところで顔を上げる。とそこには待ち人である伊藤智孝(いとう ともたか)がいた。

「あ、智孝兄ちゃん」
「だからこんな所じゃなくてどこか暖かい場所で待てと言ったろう?」

眉をひそめて困ったような顔をする智孝に、少し慌てた有羽は両手を振りながら大丈夫であることと、その理由を明かした。
もちろん返ってきたのは呆れた声と表情。

「お前なあ……」

大きな溜め息を吐(つ)かれてしまい、有羽は小さくなって謝る。

「ごめんね、智孝兄ちゃん。心配かけちゃったみたいで」
「いや。体調を崩したわけでは無いことが判って、ほっとしたよ」

頬を緩(ゆる)ませて、にこりと笑う。有羽はこの笑顔に弱かった。
鼓動が高まるのを誤魔化すかのように手にしている紙袋の中から綺麗に包装されている箱を取り出す。

「はい。これどうぞ。義理じゃないからね」

念を押すように言うと智孝は「判っているよ」と優しい微笑みを崩さないまま頷いた。
それとね、と有羽が紙袋を持ち直したその時、智孝の後ろから声が掛かった。

「伊藤じゃないか。今日はどうだった?」

智孝が振り返るとそこには彼と遜色の無い長身の持ち主が笑いながら歩いてきている。

「何だ、前田か」
「友人に対して何だじゃないだろ。で、結果はどうなんだよ。今年もその鞄の中は愛で一杯か?・・・って?」

鞄に視線を移した智孝の友人が見たのは寄り添うように立つ小柄な女性だった。

「あれ?伊藤の彼女?」

前田の質問に対して智孝の「そうだよ」という台詞と、有羽の「初めまして」という言葉が重なる。
そのタイミングの良さに質問者が声を立てて笑う。

「いや、お二人さん。良いコンビだよ。そうだよな、彼女がいるのにチョコをいくつ貰ったなんて言えないよな」

一人頷くと友人に何やら耳打ちをして「じゃあな」と去って行った。
その後ろ姿を見送る智孝のコートの袖を傍(かたわ)らにいる女性が引っ張り
「ね、いつものところに行こ?」
と誘う。

彼の同意を得て二人は学校を後にして歩き出す。
智孝は有羽の少し怒ったような表情と少なくなった口数が気にはなったが、あえて何も聞かず彼女に寄り添っていた。
着いた先はよく二人で寄る公園だった。空いているベンチを何とか見つけると彼女をそこに座らせ、彼は自動販売機で温かい飲み物を買い求める。

手渡すと「ありがと」と小声でお礼を述べて受け取ったが、それを飲むわけでもなく暖(だん)をとるように両手で包み込んでいた。
ベンチに腰を下ろしながら伊藤智孝は彼女の様子に声を掛ける。

「どうしたんだ。何かあったのか?」
「うん…」と気の無い返事を返した後、意を決したように彼に向き直る。
「ねえ。さっき智孝兄ちゃんの友人さんが言っていたことって、本当?」
「前田の?えーっと、何のことだ?」

思い当たらない智孝は考えた後に質問する。

「だから!・・・その、チョコの事───」

玖堂有羽には前田と云う男が言い放った『鞄の中身は愛で溢(あふ)れているのか』という言葉が気になって仕方がなかった。それに加算して、門の前にいた時の周りの女性達の反応。多かれ少なかれ智孝に対する憧れの眼差しと有羽への敵視が含まれていた。

さすがに後者を伝えることは、はばかられたので前者のみを口にする。
ようやく気がついた彼は「ああ」と思い出したように呟くと鞄を開き、中を彼女の前に差し出す。

「一つも貰っていないよ。俺にはお前以外のチョコは必要ないからな」

有羽の表情がパッと明るくなる。

「わあ、そう言われると嬉しいな。───そうだ!さっき渡し忘れたんだけどさ」

そう言いながら脇に置いてある紙袋の中から毛糸のマフラーを取り出した。

「智孝兄ちゃんにはいつも迷惑を掛けているから、これも進呈しちゃいます」

手編みなんだよという報告をしながら、ふわりと彼の首に掛ける。
えへへと照れ笑いを浮かべる有羽を、智孝は抱き締めた。
愛しかった。堪らなく愛しい気持ちを抑え切れず彼女を自らの腕(かいな)に招き入れずにはいられなかった。
大切な女性の耳元で囁く。

「ごめんな。お前が学校の前で嫌な思いをしていたのに俺には何も出来なかった。お前が明るく振る舞うほどに自分の力の無さを痛感するよ」

胸にいた彼女が驚いたように顔を上げる。そして
「気づいていたの?」
頷く彼に有羽は本気で困った表情を浮かべた。

「智孝兄ちゃんは無力なんかじゃないよ。私はいつも助けられているもん。兄ちゃんは格好良いからさ、私なんかじゃ釣り合わないって他の女性が思っても仕方がないんじゃないかな」

話が暗くなりそうなので、慌てて話題を変える。

「そういえば友人さんに何を耳打ちされたの?」

智孝はじっと有羽を見つめながら答えた。

「『お前には勿体無いくらい可愛い子じゃないか。大切にしろよ』って。全くその通りだと思う」

俺は有羽を害するもの全てからお前を護りたい。
言われた当人は暫(しば)しの間の後、顔を紅く染めた。

「な!…だ、大丈夫だよ。私は智孝兄ちゃんの傍に居られれば他のことは我慢出来るから」
「だから不安なんだよ。お前は俺に心配掛けまいと我慢して明るく振る舞おうとするから。欲を言うなら有羽、俺をもっと頼ってほしい。それとも俺はそんなに頼りないかな」

彼女は首を大きく振って否定をする。

「そんなことない!智孝兄ちゃんはすごく頼りになるよ。実際私なんか頼りっぱなしだし」

照れたように笑うと有羽は先程思った事を口にした。

「けどびっくりしちゃった。今までこんなにはっきり言ってくれることなかったから」

でも、と続ける。

「とっても嬉しいよ。智孝兄ちゃんが私を大切に思ってくれている事が分かって」

笑顔を弾けさせてありがとうとお礼を述べる有羽を男性はもう一度抱き寄せた。
身体だけでなく心までも温めたい。強く願う。
腕の中の女性が「あったかーい」と相手の身体に腕を回す。
智孝が有羽の髪に顔を寄せると、その冷たさに驚き声を掛けた。

「こうやっているのも良いけど風邪をひいても何だから、帰ろうか」
「うん。そうだね」

二人はベンチから立ち上がると腕を絡め合いながら薄闇に包まれ始めた公園を後にする。
互いの想い、気持ちが強く結びつく2月14日。
玖堂有羽と伊藤智孝にとってもこの日が新たな記念日として迎えられるかも知れない。

END

2月14日
著者|桜左近

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