3月14日

三月も半ばとは云え、まだ春には遠い気温が続く。
「(昨日は暖かかったんだがな)」
伊藤智孝(いとう ともたか)は公園のベンチに座りながら空を見上げる。重く垂れ込めた雲は今にも降りだしそうな雰囲気を醸(かも)し出していた。
降らなきゃいいが、と思いながら傍(かたわ)らに置いてある紙袋を横目で確認をすると恋人が来るであろう方向に視線を向ける。
ちょうど玖堂有羽(くどう ゆば)が曲がり角から姿を見せた。智孝と目が合うと笑顔を弾けさせて駆けてくる。

「ごめんね智孝兄ちゃん。待った?」
「いや、そうでもないよ」

隣りに腰掛ける有羽に笑顔を向けると、そう答えた。それから体を彼女とは反対側に捻(ひね)り袋を手にすると
「ほら。今日はホワイトデーだろ」
有羽に差し出した。「わあ、ありがとう」と言いながらさっそく中を覗いている。

「それからこっちはマフラーのお礼」

智孝の手には小さな箱が乗っていた。興味深そうに『それ』を眺めている有羽の手の上に置くと

「開けていい?」

質問には肯定の頷きを示した。

ドキドキしながら開封していく有羽の挙動を、同じ気持ちで見つめる智孝。
白い箱の蓋を開けると、中には彼女の誕生石が納まっている耳飾りが鎮座していた。
それを指でそっと摘(つま)み眺めると、自らの耳に装着する。

「えへへ。似合うかな」

智孝に顔を向け少し照れたように笑う。
まるで宝石が自ら光っているかのように見えた。それくらい佑芭の笑顔が輝いているのだ。
その光景に一瞬息を呑んだ智孝は頬を緩ますと「ああ。良く似合っているよ」。
恋人の賛辞を受けた彼女はお礼を言いながら彼の手を取る。

「智孝兄ちゃんの手って大きいね」

照れ隠しなのか玖堂有羽は時折こうして突飛な行動を起こす。いつものことなので微笑ましく見つめてる智孝の掌をしばらく弄(もてあそ)んでいると

「それに温(あった)かいし」

自らの頬に寄せた。
どうして彼女は自分の理性の壁を崩してしまうのだろう。
伊藤智孝は諦めたように思うと恋人の名前を呼ぶ。

「有羽……」
「何?智孝───」

返事を遮るように口で塞ぐ。
今までと同じ軽く触れるキスではなく、彼の想いを表わすような深い接吻(くちづけ)だった。
反応が無く放心したようにそれを受け入れる有羽を心配して、智孝は離れると顔を覗き込む。
顔を赤くして俯(うつむ)く彼女に不安がもたげる。

「嫌……だったか?」

恐る恐る聞く言葉に有羽は首を振る。

「ううん、そうじゃなくて。ただ───」
「ただ?」

一度口を閉じると小さな声で、恥ずかしい。そう言った。
突然顔を上げて恋人を睨むように見つめると、頬を染めたまま文句を口にする。

「だって智孝兄ちゃん、いきなりするし。そういう事って前もって言っておいてくれないと心の準備が出来ないじゃない」

唖然とする智孝は有羽の言葉に苦笑した。

「(前もって言ったほうが恥ずかしいんじゃないのか)」

それを告げるより実際に体感させたほうが分かり易いだろう。それに有羽の色々な表情を観察出来るだろうし。
智孝は秘めた企みを実行した。
右手を彼女の頬に添えて「有羽、お前を愛している。俺にはお前が必要なんだ。ずっと傍(そば)に居てほしいし触れたいとも思う。だから……いいかな」
有羽の様子を伺うと赤い顔を更に赤くして慌てている。
「やっぱり駄目ー! 今のナシ。言わなくていいから!!」

バタバタする彼女に我慢できなくて噴き出した。
突然笑い出す男性を怪訝な表情で見る有羽に
「ごめん。ちょっとからかい過ぎた」
と謝る。

「からかったって……。じゃあ今の、嘘?さっきのキスも?!」

どうしてそういう結論になるのか。今度は智孝が驚く番だった。
静かに首を振り、まっすぐ有羽の瞳を見つめる。

「いや。確かにからかったのは事実だけど言った言葉は本当だし、キスだってわざとしたわけじゃあ無い」

それから強く彼女を抱き寄せると耳元で胸の内を告白する。

「有羽に、もっと強く触れたいとずっと思っていた。でもそれをしたらお前が嫌がるんじゃないかって考えると出来なかった。俺に出来る事といえば一線を引いてお前と接することだけだった。なのにそれは有羽が俺の手をお前自身の頬に当てただけで崩壊してしまった。───ごめんな、有羽。こんなにも意志の弱い俺がお前の恋人で」

吐露していく伊藤智孝の身体が、玖堂有羽の両手で抱き締められた。

「私は智孝兄ちゃんの恋人で後悔したことなんて一度もないよ。いつも一緒にいられて楽しいし、すごく嬉しいから。だから智孝兄ちゃんも自分の行動で私が傷つくなんて思わないで。智孝兄ちゃんがそんなことで不安になっていたら、迷惑ばっかり掛けている私はどうするの?」

心配しなくて良いと強く見つめ返す有羽が恥ずかしそうに

「……今ならいいよ」

言っている意味が解からなくて「えっ?」と聞き返す。

「もう!──だから、その……」

ようやく理解をした智孝は安心したように微笑むと有羽に顔を寄せた。
受け入れる彼女も静かに目を閉じる。
一度、ついばむように軽く唇に触れ、互いの愛情の深さを確認するかのような接吻(くちづけ)を交わした。

END

3月14日|桜左近

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