彼と私と天の川

「はあ……何やってんだろ私」

 深いため息をつき、すっかり暗くなった空を映し出している川を見つめながら、有羽(ゆば)はそう呟いた。その視線はどこを定めるわけでもなく、ただ川の奥を向いていた。

 今日は久しぶりの下校デート。いつもと雰囲気を変えて、公園で待ち合わせしようなんて言ったのが間違いだったのだ。本当なら今頃は他愛もない会話を楽しみながら、遼太朗(りょうたろう)と二人、手をつないで幸せな気分に浸っていただろうに……。
 もう一つ有羽はため息をつく。ため息をつくと幸せが逃げると、昔母に言われたことを思い出し、慌てて今吐き出した分の息を吸う。しかし、またも大きく幸せを逃してしまっていた。

 心浮きだっていたとはいえ、こんなすれ違いがあっていいものなのだろうか?
 約束の時間、彼の所属するクラブに顔を出した有羽は、顔見知りの部員から遼太朗が真っ先に帰ったことを告げられた。そしてその後は彼のクラスへ向かい、姿を探す。いなかったので自分のクラスへ。
「あれ?有羽、今日デートじゃなかった?」と、友達に声をかけられ、ようやく待ち合わせ場所を思い出し教室を飛び出した。

 体育のマラソンの授業みたいだと思いながらも全速力で公園に向かうこと20分。湿気を含んだ空気と自らの汗でシャツが冷たくなっていた。
 広い公園内、人の影も多くいくら背の高い彼でも見つけるのは困難だった。そう、彼女はこんな時に限って連絡手段である携帯を家に置き忘れてしまったのだ。待ち合わせである西門にはおらず、公園内を一周する覚悟で足を運んだが、虚しくもいい運動で終わってしまう。
 こうなったら家に携帯を取りに帰ろう、もしかしたら遼太朗も探しに行ってるかもしれない。そう決断した有羽はまたも走って自宅に向かった。

 しかし、一度狂った歯車を元に戻すのは難しく、家に着いた有羽を迎えた情報は彼女のストレスを増幅させた。

「遼太朗なら、ついさっき出てったよ」
「うそぉ~」

へなへなと玄関に座り込む姉を見て、どうしたのかと尋ねる弟。今まで漠然としていた不安が一気に溢れ出し、その胸中を諫美(いさみ)に告げた。

「最近、お互い忙しくてなかなか二人きりの時間がもてないのに、こんな風にすれ違ってばかりだと、本当にこのまま離れていっちゃいそうでヤダ……」

今までのタイミングの悪さを聞くと、そういった不安を抱くのも無理ないのかもしれないが、諫美はやれやれといった様子で軽く息を吐いた。

「遼太朗のあの様子じゃあ、姉ちゃんから離れるのは無理なんじゃない?それにさ、興味がなくて離れていくのと、お互いを想ってすれ違うのとでは違うと思う。姉ちゃんたちの場合なら、その内ぴったりかみ合うって」
「そう……かな?」
「そうだよ。っていうかさ、二人して動いてたらダメじゃん。姉ちゃんが公園で待ってなよ」

もっともなことを助言をする諫美に有羽はぽかんと口を開け、同意の言葉を呟いた。そして数秒の空白を作り、有羽は再度やる気を起こそうと両拳に力を入れる。

「よっし!もう一回公園行ってくる!お母さんには夕飯いらないって言っておいて」
「はいはい。気をつけてな」

元気を取り戻した姉を見送り、リビングへ戻ろうとドアを開けたと同時に、どこからともなく音楽が流れた。どうやらそれは携帯の着信音らしく、テーブルの上で鳴っている。

「ったく、世話のやける奴。……もしもーし」

呆れ半分に携帯を手にした諫美。その相手は遼太朗だった。

 有羽がそのことに気付いたのは、公園に行く途中にある橋の上だった。川は家と公園のちょうど中間点にあり、これから取りに戻った方がいいのか、はたまた公園で待っていた方がいいのかと迷わせるには充分な距離だろう。
 彼女は己のうっかりさに呆れ、ため息をついていたのである。

「何お願いしようかな」

後方で楽しげに話す子供の声にはっと顔を上げる有羽。目に飛び込んできたのは、笹の葉を手に母親と歩いている女の子の姿だった。

「そっか……今日、七夕なんだっけ」

どこか羨ましそうな目で親子の後ろ姿を見つめる有羽は、そのまま川へと視線を動かした。

「一年に一度の逢瀬かぁ……。きっと待ち遠しいよね。織姫もこんな感じなのかな?いや、違うか。もっと会いたくなったりするんだろうな……」

 ひとり言に虚しさを感じた有羽は、次第に口をつぐむ。
 街の灯りをキラキラと反射させる川をじっと見つめ、有羽はまるで天の川みたいだと思った。星で出来てる川。今のこの川なら、輝きは充分だ。後は彦星が来るのを待つだけ。
 そこまで考えて有羽は吹き出した。それじゃあ、私が織姫?お姫様って柄じゃないけど。くすくすと笑いを零すが、カラ笑いとなってしまっている自分の声が胸に響き、有羽は顔を強張らせた。そして再び襲ってきた不安を抑えるように、顔を伏せる。

「会いたいよぉ……」

 そう願った瞬間だった。
 突然後ろから抱きすくめられ、有羽は驚き息を呑む。

「や…っと見つけたー」

 息を切らせてそう言ったのは、まぎれもなく愛しの彦星だった。
 有羽はようやく会えたその存在に感情が高ぶる。確かめるようにしてぎゅっと彼の背中に手を回すと、有羽は一言呟いた。

「ごめんね」
「え?何が?」
「待ち合わせしてたの忘れてて、色々違うとこ探しちゃうし……携帯忘れるし、ウロウロ動き回っちゃったり……なんかもう、自分が嫌になった」
「いや、それは俺も動き回っちゃったから。有羽が気にすることないよ」
「でも……怒ってる?」
「怒ってないよ。ちょっと心配だったけど」

 心配?と有羽はきょとんとした顔で遼太朗を見つめる。遼太朗はというと、照れくさいのか彼女の顔を見られず、抱き寄せて答えた。

「ほら、変な奴とか多いし。声かけられたりとか、ナンパとかされちゃったり」
「大丈夫だよ。気をつけてるし」
「ダメ!有羽が気をつけてても、盛んなヤロー共は危険なんだから」

 遼太朗の勢いに少し圧される有羽だったが、彼のシャツや額には自分を懸命に探してくれた勲章がしっかりと印されている。その真剣さに嬉しさが込みあがり、有羽は遼太朗の胸に顔をうずめたまま口を開く。

「じゃあ、今は危険じゃないんだ?」
「あ、う、それは、そうです」

 小さく笑う彼女に、参ったなと笑みを返す遼太朗。動き回ってお腹も空いてきたことだしと、飲食店へ向かう途中、有羽があっと声を上げて先程感じた川の印象を遼太朗に告げた。

「ね、この川、天の川みたいだと思わない?さっき、会いたいって強く思ったら本当に願いが叶ったし」
「あ~。でもそれなら、いっちゃんが俺達の天の川だよ」
「諫美が?何で?」
「だっていっちゃんから教えてもらったんだもん、有羽の居場所」
「そうなの?」

 頷く遼太朗に、有羽は心の中で諫美に感謝しつつ、口では「川の方がロマンチックだから、川のおかげってことにしておく」などと言っていた。

 一年に一度、彦星と織姫の逢瀬の架け橋となる天の川。
 空の上でも地上でも、その日は一晩中輝き流れていた。

END

はちみつの時間-寝起きの本音-

いいなと思ったらシェアしてください^^
  • URLをコピーしました!