聖が呼ばれた理由はこれだったんだ。イベントホールの事件や、智孝が言っていた次の任務のメンバーに入っていないことに疑問を抱いていた晟だったが、聖の語る魄や朧についての説明を聞いて納得した。中でも、朧と魄は元々一つ──鬼の力であったということに、有羽は食いつくように聖へと質問する。
「ってことは、魄はその物体のもつ波動を、それ自体を動かすエネルギーに変換するってこと?」
「そう。そして、魄は特に人のマイナスの言葉がもつ波長に合いやすい。だからその言葉から作られている感情自体を増幅させて行動に移すためのエネルギーとなるんだ。とりつかれた人はその間の感情や感覚、記憶はほぼなくなり、欲を満たそうと躍起になる。まさに、鬼のようにね」
「確かに、『鬼』は感情が動かず非道な様子を表すこともあるけど、一つの感情に没頭している状態を表す言葉でもあるわ」
彩の呟きに聖は頷いてその意見を肯定する。綺麗にまとめてある説明文に目を通しながら、晟も自分の考えを口にした。
「魄とは反対に、朧は自分以外の波動を取り入れてプラスの感情にし、今度はそれを表に出すんだな。『気』や一つの現象として具体化もできるエネルギー、か。つまり、魄がマイナスの力で肉体を動かし、朧がプラスの力で精神を司るってイメージ?」
「そうだね」
「朧を使ってる時は、俺たちの感情もなくなってるってことか?」
その質問には少しだけ陰りを見せて聖は答える。
「そう、だね……朧は『鬼』の力そのものだと思った方がいい。それが凝縮されて、石という形になってるだけだと。だから朧は、魄から『鬼』を吸収して『白』というまっさらな状態に戻すんだ。言守からは、その人の感情──言葉と鬼の力を魂にして外に出すことができる。いくら自分以外からエネルギーを得られるとしても、それを上回る力を使えば、当然感情や感覚は薄れるし、意識もなくなる。そして寿命も削られてしまう」
「へー! すっごい納得! 面白いね」
目をキラキラと輝かせて話す有羽に、自分も含め、その場にいた全員が言葉を失った。皆の気持ちを代弁するように、実春が半ば呆れながらも「面白い、のか?」と尋ねる。
「感情や意識がなくなったり、寿命が短くなるんだぞ?」
「えー? ミーちゃんは面白くないの? だって、なかなかない経験ができるんだよ? すごくない? それにさ、もし使い過ぎたとしてもまた補えば問題ないでしょ」
「そうだな。面白いかどうかは別として、自分を保つためにも彩やお前みたいな『講師』がいるんだ。ちゃんと使い方さえわかっていれば問題はない」
智孝がそうフォローを入れると有羽は顔を輝かせる。
「あの時も言っていたけど、有羽は魄も必要だと思ってるの?」
今はもうすっかり馴染んだ聖は、有羽の放った意見に疑問を率直にぶつけてきた。有羽はさほど考える様子もなく答える。
「とりつかれた人にとってはツライし、いらないものだと思っちゃうけど、私はその経験はあっていいと思ってる。人間ぽくなるっていうか。何かあれば頭使うでしょ? 私、考えたりするの好きなんだよね。知らないことを知ったりとか、全然違うことなのにつながったりすると面白い!ってなるの」
「……」
「あ、今面白いって思った?」
驚きの表情を浮かべる聖に、有羽はからかうように言った。聖はしばらく言葉を失って目を瞬かせていたが、次第に吹き出す。
「面白い」
「へへ。それにさ、『それだけ』っていうのが私苦手なんだよね。魄をなくせ! やっつけろ!ってことばっかり考えてると、見えるものも見えなくなりそうで。朧だけいてもプラスばっかりになっちゃうし、バランス悪くない?」
「確かに。伊藤先生はどう答えるつもりだったんですか?」
「まあ、こいつと同じく、要はバランスだよな。授業の中でも言ったけど、いくらマイナスの感情や感覚とはいえ、それ自体がなくなるっていうのは避けなければならないことだ。対となる言葉もなくなるしな。どちらかが欠ければ両方が存在しなくなる、と言った方がわかりやすいかな。だから俺も魄を完全には否定しない。浄化する側の立場にいる俺たちは、もう少しそこら辺を理解しないと、朧を扱う以上危険だとも思ってる」
あまりにも朧だけが強く在りすぎると、今度は自分達が消される対象になり得るという意味だろうなと思った。強すぎる力は、正義であれ悪であれ、危険が伴う。
「なるほど……ありがとうございます。僕の周りには魄を肯定して考える人間は少ないので、とても参考になりました。授業も面白かったです」
「そうか。ならよかった」
「うんうん。私達みたいな優等生がいると、特に面白くなるよね」
「お前の場合は問題児だけどな」
「もう、失礼しちゃうな。兄ちゃんは」
どこか嬉しそうな声色で有羽は文句を言う。
「あーあ、そんなに面白いんだったら私も受けたかったなー」と残念そうに言ったのは里紗だった。「そうね」と賛同する彩。
「お前たちはもう十分わかってるから必要ないだろ?」
「うわ。先生、わかってないわねー。そうだけど、そうじゃないのよ。先生の授業は面白いんだけど、有羽たちがいるならまた違うでしょ? 実際違ったんだし。だから」
「あー、でも今回は偶然なんだよね。検査の一つに実技があって、晟に手合わせをお願いしてたんだ」
「検査って……何かあったの?」
イベントホールで起きたことを知らない聖は、躊躇いながら聞いた。言ってもいいものかと視線を自分に向ける有羽に対し、智孝は講義中に晟達が見ていた資料を聖に渡した。
晟に届いた招待状のこと、事件の概要とバイオリニストの女性の変貌について、そして有羽の体に起きた異変についてが書かれている方だ。先程聞いた推測の方ではない。
端末を熱心に読んでいる聖の表情がだんだんと険しくなる。愕然とした何かに、言葉となって口からこぼれた。
「まさか──いやでも、そんなはずは……」
一度言葉を切って、聖は続ける。
「有羽、もしかしたらという君の可能性は、あとで話すよ。いい?」
「う、うん」
そう確認をとると、聖はここに呼ばれた本来の目的を話し始めた。
人形──意図的に魄をとりつかせるための核を、聖はそう呼んだ。そのコアを頭部に埋め込んで作られた人形それ自体のことも呼んでいたそうだが、完成に至らずコアの名称に留まっていた。人への影響を考慮し作られたと言っていたが、まだまだ改善しなければいけない点が多いようだ。
まず一つ、現段階では完全に人工物ではコアがうまく発動せず、その生物が生きている間に投与しなければならないこと。
次に、コアが発動している生物は攻撃的になり、管理が難しいこと。
三つめは、コアを入れた生物は長くても24時間以内に死んでしまうこと。早ければ10分以内もあるが、平均して6~8時間ということだった。
他にも発動条件や生成方法なども説明できるが、今話すことではないと割愛された。
もし、バイオリストの『イグリ スミコ』がリーズの実験台にされていたとしたら、招待状を送ってきた奴はリーズを持っていて、イベント時間に合わせてリーズを投与したのだろう。しかし……。
「今回は犠牲者の数が多過ぎだとは思わないか? いくら平均時間がわかっていたとしても、狙った時間通りに発動するとは限らない。もしかしたら、『イグリ スミコ』以外にもリーズとなっていたかもしれないな。俺が浄化したはずの男性も犠牲者の一人だった。リーズは発動の有無に関わらず、朧では浄化できないのか?」
晟の疑問を代弁するように智孝は聖に尋ねた。
確かに、人数が多過ぎるのだ。晟が一蹴した魄の中にもその犠牲者がいると思われる。
つまり、発動にかかる最大の時間分──少なくともイベントホールにいた24名にリーズが投与された可能性があったのではないだろうか? 晟はそう考えていた。
「いえ、そんなことはないはずです。……でも、そうか。人間にリーズが投与されていたとすれば、相当な量の朧が必要かもしれません。人体実験をするわけにはいかないので、ここは力になれずにすみません」
人体実験は無理だろうな、と思った。聖の謝罪に智孝もその必要がないことを告げるが、聖の顔は曇ったままだ。
「あの……一つ大事な補足があります。リーズの発動条件として生きている内に投与する必要があると言いましたが、それにプラスして、その生物が一度死なないと発動しないんです」
「何だって?」
智孝の声色が険しくなる。
「はい。結果では100%です。必ず死んだ後にリーズは発動します。なので……リーズが発動してから朧で浄化しても、その生物が生き返ることはありません。発動前であったならコアごと浄化されることの方が多いですが、稀に死ぬこともありますし……そのままリーズとなることもあります。もしここに載っている犠牲者全員にリーズがあるとすれば、生き返っている可能性もあるってことです」
その可能性が高いことに、誰かが固唾をのみ込んだ。聖は続けて。
「ただ、これらはリーズがあるという前提の話です。魄は、死んでいる生物だろうが、無機物であろうが、物体を動かすということはできるので……正直僕は、リーズの可能性は低いと思ってます」
「魄って、物にもとりつくの?」
そんなこと聞いたことがない、という顔で有羽は尋ねる。
「正確には物にとりつくというよりも、とりついた人間から発せられるエネルギーの余波で動くことはあるよ。ポルターガイストが一番イメージとして近い」
「そうなの!?」
「波長が合えば、何でも現象としては起こりうるよ」
ほえー、と驚きと納得の声を上げる有羽。晟も同じ心境ではあったが、一つ引っかかるところがあり、それを口にした。
「リーズの可能性が低いっていうのは、それだけじゃないだろ?」
今までの聖の行動を身近で見てきた者としては、「魄が死体でも物体でも、とりつくことができる」という理由だけで結論を出さないことを知っている。
痛いところを突かれたと聖は顔に表し、諦めたように息を一つ吐いた。
「もちろん、そうだよ。理由はあといくつかある。一つ、リーズを生成するには朧が必要だということ。二つ、リーズを生成できる場所が限られていること。三つ、リーズの存在を知っている者が研究所でも限られていて、実験をしたからには必ず記録が残されていること。四つ、人体実験は禁じられていて、研究所内では絶対にあり得ないこと。五つ、発動したリーズは非常に凶暴だということ。今まで怪奇的な事件は発生していない。だからさ」
随分出てきたな。やっぱりという思いもあったが、聖の出した理由にしばし考え込んだ。特に一つめの『リーズを作るには朧が必要』に引っかかった。聖のいない所でリーズを生成するとしたら、協力している言守がいるということだ。もしくは──鬼そのものが。
遼太朗のことといい、智孝の言っていた内部の犯行という推測が、どうにも頭から離れなかった。明日香やその兄は言守ではなかったが関係がないとは思えない。『消えた遺体』『死者を蘇らせるリーズ』、そして『いなくなった鬼』──これだけ揃えば十分じゃないか?
「とはいえ、データの持ち出しが0とは言い切れませんし、研究所に戻ったら、リーズの研究に携わった人間のリストを作ります。どのくらいの期間が必要ですか?」
「そうだな……3、いや5年分あれば欲しいところだけど。あ、あと、研究所を辞めた者のリストも頼めるか?」
「了解しました。完成したら連絡します」
聖はそう言って、他にも魄について聞きたいことがあるかを確認した後、部屋を出ようとする。今日いっぱいはここ天本にいるので、何かあれば連絡して欲しいということも告げ、最後に有羽へと声をかけた。
「ちょっとここで調べたいことがあるから、後で来てくれる?」
言いながら何かをメモした紙を渡す。有羽は「わかった」と答えるも、ほんの少しの間黙り込み、聖へと耳打ちした。
何を言ったのかはわからないが、聖は笑顔で「いいよ。君がいいなら」と答える。
「よかった。また後でね」
小さく手を振りながら聖を見送る有羽。
そして晟はこの後に有羽が聖に耳打ちした内容の秘密を知ることとなる。
小説目次
本編
・第1話|謎の招待状
scene01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06
・第2話|魄と朧と鬼と人形(リーズ)
scene07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12
・第3話|鬼が消えた日
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