8月。
夏休みという学生の特権を満喫──とまではいかないが、まあまあ楽しんでいる諫美(いさみ)は、何か飲み物をとってこようとキッチンへ向かった。
クーラーがきいている部屋にいても、窓の外から大音量のセミの声が聞こえてくれば、汗がにじむくらいの暑さを感じる。
(なんか炭酸あったかな)
喉ごしだけでもスッキリしたいと思いながら、キッチンにつなぐドアを開けると、諫美は見慣れない光景に一瞬ドキッとした。
リビングでテレビを囲んでキャーキャー騒いでいる女子が二人──姉とその友人がいたからだ。
しかも、その友人が同じ学校の先輩であり、自分の想い人とくれば動揺は少なからず走る。
「あ、こんにちは。お邪魔してまーす」
「ちは」
諫美の存在に気づいた先輩──有羽(ゆば)は、にっこりと笑い挨拶を交わすと、また視線を画面に戻した。
(なんでイんだよ。つーか何してんだ?)
ちらりと騒ぎの原因となっているテレビを盗み見ると、現実にいたらアイドルが天職であろうイケメンが甘い言葉を口にしていた。
(ゲームやってんだ。姉ちゃん好きだよな、こういうの)
冷蔵庫から目当ての飲み物を見つけた諫美は、そのまま口をつけようとしてふと手を止めた。
家族以外が飲むかもしれない可能性に気づき、コップを探し移し替える──その時だった。
「諫美、あんたいきなりキスできるタイプ?」
と、それはまるでゲリラ雷雨のように、突如降って湧いた質問だった。内容の威力もまさにゲリラ雷雨。諫美は質問者である姉の顔を凝視して固まり、やっと出た答えは
「──は?」
の一言だった。
「だーかーらー、好きな子にいきなりキスできるかって聞いてんの」
「……これからしますって言う方がおかしくね?」
「あーそうじゃなくて、告白するより前にできるかってこと」
うまく伝えられないもどかしさからか、姉である里美(さとみ)は少し苛立ちを含めた口調で言う。
「相手も自分のこと好きそうだなーってわかってて、いい雰囲気になってたらイケそう?」
「別にイケんじゃん?」
やっと質問がゲームからきてるものだと気づいた諫美は、くだらないとばかりにコーラを飲みながら適当に答える。
しかし里美はニヤリと笑って一言。
「だってさ有羽。よかったね」
「え!?あたし?」
急に話題をふられた有羽は、顔を真っ赤にして諫美を見るが、目があったと同時に視線をそらす。
(何?そういう…こと?)
何だかくすぐったい空気に包まれ、期待に胸を膨らませる諫美に気づいているのかいないのか、里美は話を続ける。
「やっぱ男子からきて欲しいよね。不意打ちチュー、憧れるぅ。ね?有羽」
「……うん」
「後ろから抱きつかれてがいいかな?あ、でもそれじゃ不意打ちは難しいか」
やや興奮気味の姉はさておき、諫美は有羽の真意をくみ取るべく、じっと見つめる。
すると、先程と同様に、有羽は目があった瞬間に恥ずかしそうにうつむいてしまった。
先程の姉のセリフといい、彼女の態度には諫美への好意が寄せられているように感じる。
これが勘違いなら文句言ってもバチは当たらないよな。諫美は心の中で頷いた。
「あ、諫美、冷蔵庫からオレンジジュース持ってきて」
「お願い」と甘えたように言う姉に顔をしかめながらも、言われた通りにジュースを手に、二人のいるテーブルに近づいた。
「ありがと。あたし、ちょっとトイレ行ってくる」
「俺が持ってきた意味は?」
「まあまあ」
不満を口にする諫美を横目に、里美は含み笑いを浮かべながら通り過ぎる。
小さく息を吐きながらジュースをテーブルの上に置くと、有羽が困ったような恥ずかしいような表情を浮かべ諫美を見つめていた。
「先輩、顔赤いね」
「え?あ、いや、色々想像しちゃって──ていうか、諫美くん、できるんだね」
顔を隠すように両手を頬にあて、独り言のように呟く。
そして数秒の後、遠慮がちに問いかけた。
「でも、実際できないよね?」
(それ、やれっていうフリ?)心の中でツッコミながらも諫美はきっぱりと答える。
「できるよ」
「えー……できないよ」
「できるって」
「できないよ」
まるで子供のケンカのように繰り返される可否の言葉。
それに終止符を打ったのは諫美だった。
彼は一瞬真剣な眼差しを向けたかと思うと、彼女が抵抗する猶予も与えずに唇をふさいだ──自らのそれで。
「だからできるって言っただろ?」
どこか勝ち誇った顔をしながら諫美は言う。
その言葉にも、突然の行動にも驚いた有羽は、耳まで赤くしながら口を押さえた。
「んー……」
少し怒ったような顔をして、うなるように深く息を吐く彼女を見て、諫美はだんだんと不安を抱く。もしや全て勘違いだったらどうしようか、と。
ガチャ。
トイレから戻ってきた里美がリビングに通じるドアを開ける音に、諫美は内心飛び上がった。
座っている有羽にキスをするためかがんでいた諫美は、テーブルについていた手に力を込め、その勢いで体を起こそうとする──と、その時、有羽は諫美にだけ聞こえるように呟いた。
「諫美くんて、コーラの味がするんだね」
「!」
思いもしなかったセリフに、今度は諫美が赤面する。
どうやら怒っても嫌われてもないようだが、諫美は“してやられた感”に何だか複雑な気持ちだった。
「先輩、エロい」
悪あがきのようになった言葉を残し、諫美は部屋に戻ろうとする。
背後で姉が何やら言っているが、答える気はなかった。
END