「お邪魔します」
海白彩は今日も実春の家へ遊びに来ていた。
「あら彩ちゃん、いらっしゃい」
玄関先で彼の母親に会う。どうやら急いで出掛けるようで、いつもするちょっとした世間話は今日はお預けらしい。
「じゃあ実春、後は頼んだわよ。彩ちゃん、ゆっくりしていってね」
「はい、ありがとうございます」
お辞儀をすると母親はにこやかに頷いて出掛けていった。
実春の部屋へ入ると、彩はいつもの定位置にクッションを置いて座り込む。
その後に自分の隣に座るはずの彼がまだ立っているので、どうしたのだろうと見上げた。実春は少し照れたように笑うと腰を落とし
「彩。今日はホワイトデーだろ。だから、これ」
白いバラの小さなブーケを差し出した。
「わあ、ありがとう」
と受け取る彩にもう一つ、小さめの箱が提示される。
「花はチョコのお礼で、これは彩への卒業祝い」
その言葉に彼女は驚くしかなかった。実春も自分と同じ学校を一緒に卒業しているのだから。
箱を手にすると、開けていい?と尋ね同意を得て包装紙を開く。
彩が嬉しそうに中身を取り出そうとする様子を見ながら、実春は心の内を語った。
「こんなこと言ったら笑うかも知れないけど、不安なんだ。俺も、彩もこれから違う路を進んでいかなきゃならない。当然、今までみたいに気楽に会えなくなると思うんだ。友人が増えていく中で彩が自分を支えるのが俺である必要を感じなくなったらって考えると……不安なんだよ」
「ねえ実春。見て。ほら、小指にピッタリ」
実春が漂わせていた雰囲気を打(ぶ)ち壊すように、ニコニコ笑いながら彼女は自らの左手を彼に見せた。そこには確かに銀色のリングがはまっている。
実春が恋人にプレゼントしたのはリングが付いたペンダント。彩はそのリングだけを外して指に付けたのだ。
人の話を聞いているのかと問い質(ただ)そうとして、また彩の台詞に遮られた。
「で、こっちの余ったチェーンは実春にあげるわね」
そう言って彼の首に腕を回し、止め具をはめる。
するとそのまま実春に抱きつき、自分の想いを耳元で打ち明けた。
「私も――同じ。ずっと不安だったの。離れて暮らすようになったら、実春は私じゃない女性に心を寄せるんじゃないかって。実春にはもっと似合いの人が現れるんじゃないかって」
だからこれをプレゼントされてすごく嬉しかった。これならいつも実春と一緒にいられる。実春の想いと、一緒に・・・。
静かに身体を離すと一度恋人の目を見つめ、すっと顔を寄せた。
触れあう唇。
初めて彩から実春へ寄せられた接吻(くちづけ)だ。
短い接触時間で離れると
「今のはブーケのお礼ね。これについては、また日を改めてお礼をするから」
左手を見せると、頬を薄紅色に染めながら言った。
彼女の様子に今度は実春が彩を抱き寄せる。
「本当にお前っていう奴は―――。言いたいことがあるなら笑顔で隠してないでちゃんと言えよ」
「実春くん…あ、実春に言われたくないわ」
照れ隠しに呟いた言葉に入る彩のツッコミ。わざわざ名前を言い直したのを聞いて実春は少し笑った。
「いいよ、無理して呼ばなくても」
今日、彩は何を思ったのか出会った途端に『一日実春で呼ぶから宣言』をしたのだ。
いつもと違った呼ばれ方が新鮮で、嬉しかった。
だからこそ無理をして呼んでほしくない。
「ううん。無理なんてしていないから呼ばせて。呼んでいいでしょ?」
「当たり前だろ。欲を言えばずっと呼んでいてほしい。でも今日一日だけっていうことだからな、諦めるよ」
彼女を解放すると少し困った表情がそこにあった。
『実春』と呼んでも良いけれど、今まで通りに『くん付け』をした方が呼びやすいし。でもお願いされちゃったしなぁ。
たぶんそんなことを考えているのだろう。
「彩の好きでいいから」
実春はそう言うと恋人の耳に指をそっと当てる。
少しだけ顔を上げた彼女に降りてきたのは優しく、そして彩が恋人にしたのより、ずっと深いくちづけ。
心地良さに静かに身を委(ゆだ)ねた。
自分が相手を思うように、相手も自分を思っていてくれる。
あなた色に染まる、純白の想い。
「彩。これのプレゼント、今でもいいか?」
離れると彼女の左手を手に取り、実春は質問をした。
「物じゃなくてもいいの?じゃあ私に出来る事なら」
彼の頷きを確認をして同意をする。
すると実春は掴んだ彼女の手を引き寄せると、自身の胸に身体を預けた彩の耳元で囁いた。
「―――――」
その提案に、彩の顔が真っ赤に染まった。
END
純白の想い|桜左近