『珊瑚の指輪を左小指にしていると運命の相手と出会えます』
――私もこの指輪で最高の恋人と巡り会えました――
――今度、結婚します。全てはこの指輪のお陰です――
雑誌の広告にあるこんな言葉を読むと、自分の左手の小指にあるコーラルリングが妙に気恥ずかしい。
親友は何を考えてこの指輪をプレゼントしてくれたのだろう。
そんな事を考えていると、ちょうどその親友から電話が掛かってきた。
「あ、彩ちゃん。今大丈夫?」
肯定の返事をすると
「あのさ、今度晟と実春くんと私達で遊園地に行かない?」
「遊園地?」
「うん。割引券が手に入ったんだけど、もし良かったら一緒にどうかなって思って」
特に断る理由も無いので了承する。受話器の向こうから一段と明るくなった声が届いた。
「良かったあ。じゃあ日時とか、細かい事が決まったらメールするね。あ、駄目な日があったら教えてね。ふふ、楽しみだな」
じゃあね、と電話は切れた。その時になってようやく彼女は指輪の件を聞きそびれたことを思い出した。
「……まあ、今度会ったときに聞けばいいわよね」
そう独り言を口にすると明日の用意のために机に向かった。
晴天に恵まれ春の麗らかな陽気の中、集合した4人は入場すると有羽のお勧めだと云うアトラクションを2つ3つ楽しむ。
それらは全て全員で乗れるものだった。だからというわけでもないのだろうが、主催者は遊具郡を繋ぐ南北へ伸びる大きな通路の真ん中でこう宣言したのだ。
「今から男子、女子の二組に別れてそれぞれアトラクションを楽しんでもらう事にします!だって、私は彩ちゃんと一緒に乗りたいんだもん」
彼女の腕に自分の手を絡めて
「というわけで、これから別行動になりまーす。彩ちゃん、行こ?」
そんな行動は別に今日取らなくてもいいだろう、という表情の男性陣を後目に玖堂有羽は海白彩の手を引いて彼らに大きく手を降り去って行った。
その後ろ姿を見つめていた晟は、共に残された先輩に声を掛ける。
「で、俺らはどうする?」
「俺はここで待っているから樫倉は適当に乗ってきたらどうだ」
近くのベンチに腰を下ろしながら口にする先輩に、晟は少し考えた後こう答えた。
「特に乗りたいアトラクションがあるわけじゃないから俺も待つことにするよ。っていうかさ、有羽が一緒じゃないなら別にいいかなって」
その言葉に野田実春は小さく微笑む。
「樫倉は本当に玖堂が好きなんだな。そうやってストレートに言えるのが羨ましいよ」
その言葉に晟は少し照れたように笑った後、自分の気持ちに嘘は吐きたくないんだと答えた。
「昔、自分の気持ちとは違うことを言ったことがあるんだよね。けど、その後すっごい後悔してさ。嘘を吐くのを止めようって思ったんだ。相手への嘘は…本当は良くないんだろうけれど吐かなきゃならない事もあるんだと思う。でも、自分への嘘は意味が無いんだって判って」
結局自分がその嘘を見抜いちゃうから。
そんな話をしている男性達の前を恋人同士が腕を組んで笑いながら歩いていく。
その光景に、今までの雰囲気を一蹴して晟が明るく実春に話し掛けた。
「そうだ。一度先輩に聞こうと思っていたんだけど。先輩ってさ、彩先輩のことどう思ってる?」
実春がこの質問に驚いたのも無理はないだろう。恋人である彩や、彼女の親友である有羽に聞かれるならともかく更にその恋人である樫倉晟の口から言われるとは思わなかったからだ。
「どうって…。何でそんな事を聞くんだ?」
彩が有羽に相談でもしたのか?
そんな思いが脳裏を過る。しかしそれは取り越し苦労だと直ぐに知ることになった。
「いや、別に理由があるわけじゃないんだけどさ。実春先輩ってオープンじゃないから、端から見ると心配になるんだよな。彩先輩が不安になっているんじゃないかなって。あ…でもそれを言ったら実春先輩も同じか」
彩の態度を思い出し、うーん…と考え込んでしまう後輩に実春は穏やかに笑いながら
「確かにな。彩は自らの恋愛関係を公にする事を好まないから、樫倉から見ると俺達が本当に恋人として成り立っているのか不思議に思うかもしれない」
でも。そう言って空を見上げる。
「俺は彩が好きだよ。彩がいることが生活の一部になっているくらいに」
実春が隣りに視線を移すとぽかーんとしている後輩の顔にぶつかった。
暫くそのままの表情でいた晟は我に返ると
「なっ、そんな。俺と…、俺が有羽を想うのと同じくらいじゃん、それって」
気が動転しているのか言葉が上手く台詞にならない。
「あー、実春先輩ってもっと淡泊なんだと思っていたのに。何でそうなんだよ」
何故か頭を抱え込む彼に、実春は不思議そうにその行動について問う。
「だって俺の『好き』って気持ちはメンバーの中では誰にも負けないと信じていたからさ。唯一俺に対抗できるとしたら遼太朗だけだと思っていたのに」
「想いの強さなんて人それぞれだろう。第一強いから良い、弱いから駄目というものでもないしな」
晟の言葉に少し呆れた様子で実春は返した。
「で。樫倉が自負している有羽への想いの強さってどの程度なんだ?」
これ以上自分の恋人への想いを口にするのが気恥ずかしい彼は、渡りに船とばかりに話の方向転換を試みる。
顔を上げた彼の顔は輝くような笑みに溢れていて「よくぞ聞いてくれました」と書いてあった。
「本当は有羽の可愛さは俺だけが知っていればいいんだけど。実は―――」
「ごめんね彩ちゃん。もっとちゃんと地図見ておけば良かった」
「別にいいわよ。効率良く乗りこなすより、こういう寄り道があるほうが楽しいじゃない」
恋人達と別れた玖堂有羽と海白彩の二人は先に乗りたいアトラクションが一つしかない方向へ進んでしまったのだ。
先程通った道を戻りながら、次は何に乗ろうかと地図を見ていた二人の耳に聞き慣れた声が響いた。
「あれ?今のって晟の声じゃない?」
有羽が先に気が付いてキョロキョロと辺りを見回していると、その腕を彩がそっと叩く。
彼女の指し示す方向にはベンチに座っている恋人の頭が見えた。
どうやら女性達は別れた通路の隣りにあった、もう一つの通りを歩いていたらしい。
「ね、驚かしちゃおうか」
いたずらっ子の顔でそう提案する有羽に、楽しそうだと彩も笑いながら頷いた。
二人は身を屈めて恋人達の後ろにそーっと近寄るとベンチの後ろ辺りの植え込みに座り込んでチャンスを伺う。
しかしその機会は男性陣の会話で崩れ去ってしまった。
晟が、彩の行動が実春に不安をもたらしているのではと意見しているのを耳にして、女性達は動けなくなってしまう。
玖堂有羽は恋人の発言に驚いて。
海白彩は真実を突かれた気がして。
その意見に対し実春が「彩は自らの恋愛関係を公にする事を好まないから」と口にすると、彩の表情が強ばった。
そんな彼女を親友が心配そうに見ている。
だが野田実春の一言で、二人の不安が霧散してしまった。
「俺は彩が好きだよ。彩がいることが生活の一部になっているくらいに」
突然の告白に、驚きと恥ずかしさで彩の顔が真っ赤に染まる。
「(そんなこと、樫倉くんに言わなくてもいいじゃない)」
けれどもその言葉がとても嬉しかった。
好きだ、と言われることがこんなにも素敵だったということを失念していた。
「彩ちゃん、良いことあったね」
有羽がそっと囁いた。怪訝な顔をする彩に彼女はこう続けた。
「これ、はめていると幸せなことが起こるんだって」
そう言うと有羽は自らの左手の小指にある、彩とお揃いの珊瑚の指輪を示した。
彼女は雑誌にあるような意味合いではなく、おまじないとして彼女にプレゼントしてくれたようだ。
幸せ。
与えられたのなら、それは返すのが礼儀だろう。
自分の態度をいきなり変えることは出来ないだろうが、それでももう少し言葉にして表わしてみよう。
彩が静かな決心をしていると、後ろの男性達の話題が彼女から親友へと移っていった。
「実はこの前カラオケに行った時、俺の想いを込めて歌ったんだよ。そしたら有羽がさ、涙を浮かべて『晟の歌ってすごいね』って―――」
樫倉晟がここまで話した時、彩の隣りに座っていた彼女が勢い良く立ち上がり
「だめー!その話は人に言わなくていいの!」
顔を真っ赤にして両手を振りながら力説する。
後ろから突然湧いて出てきた有羽に、晟も実春も驚いて固まっていた。
「…いつからそこに居たんだ?」
後から立ち上がった彩に実春が聞く。
「さっきから、かな?」
少し誤魔化すような口調に彼は小さく溜め息を吐いた。
自分の本心を聞かれたことは間違いない。それが嫌なわけではないが、やはり照れ臭いのも事実だ。
「――とにかく。全員集まったわけだから、また何かに乗りに行くか?」
実春が皆を見回しながら聞くと、今まで晟とやり合っていた有羽が
「じゃあ観覧車、乗りに行こ?」
にこっと笑顔で意見を出す。こういう事がいつもなのか、晟もそうだなと賛成して植え込みを跨いで女性側に来た。
実春も彼に倣い彩の傍へ行くと二組の恋人達は提案された場所へと歩き出す。
最後の締めは観覧車。
そう言い出し始めたのは有羽だったが、いつの間にか皆もそれが当たり前になっていた。
近郊では一番の大きさを誇る巨大観覧車。色とりどりに塗られたゴンドラが緩やかに回り続けている。
「なあ、彩」
「どうしたの?」
遊園地に入って初めて出来た二人だけの時間。
ゆっくりと上昇する空間の中で実春は正面にいる彼女に先程晟に言われたことを質問してみた。
「俺が恋人らしく振る舞わないのは、やっぱり不安か?」
突然の質問で言葉に詰まる彩。だがそれは確信を突かれたからではなく、単に驚いたからだけに過ぎない。
「ううん、そんなことないわ。でも…」
少し俯くと
「実春くんは不安に思っているの?」
彼女の口にした『不安』という言葉が何に対してなのか不明瞭なままだったが、その感情を抱いていない実春は静かに首を振る。
「いや。たださっき晟に言われた時、そうかもしれないって思ったから。俺は彩と二人きりになっても言葉で伝えたりしていないからな」
そう言うと彼は彩の隣りに移動し、こう囁いた。
「彩。好きだよ」
耳に触れる彼の言葉が彼女の頬を染める。
恥ずかしさを彼の手を握ることで示した彩は、意を決したように顔を上げ実春を見据える。
「私も、実春くんのことが……」
すき。
驚く恋人に続ける。
「立ち聞き――座り聞きをしていた時に思ったの。好きな人に好きって言われることがこんなにも嬉しいんだって。だから、私も言われるだけじゃなくて言わなきゃ、言葉にしなきゃって思って…」
言葉は途中で遮られた。
彼が彼女を力強く抱きしめた事によって。
「本当に、すごく嬉しい」
暫く恋人の体温を感じていたが腕の力を緩め離れると、女性の瞳が彼を見つめ返している。
その視線に誘(いざな)われるように、実春は彩に接吻(くちづ)けた。
「お、実春先輩。やるなあ」
先輩達の後続に乗った樫倉晟は、玖堂有羽の隣りに座りながら少し上を進むゴンドラ内を覗き見している。
丁度二人が顔を寄せている所を目撃した晟が野次馬根性で思わずそう口に出してしまった。
「もう、止めなよ晟」
親友のプライベートを興味本位で見られるのは気持ち良いものではない。例えそれが自分の恋人であっても。
「晟だってそういう目で見られるの、嫌でしょ?」
その言葉に自分がみっともない行動をしていると気が付いた晟は、居住まいを正してゴメンと謝る。
「でも安心した。先輩達はやっぱり好き合っているんだなって」
「そりゃそうだよ。彩ちゃん達は人よりちょっと表現が苦手なだけで、ちゃんと相手を見ているんだもん。皆が皆、晟みたいにオープンな人ばっかりじゃないんだから」
いつも彩を見ていたからこそ言える台詞だった。
晟は少しだけその事に嫉妬した。
親友よりも恋人である自分を見ていてほしい、と。それがエゴだと判っていても。
「じゃあ有羽はオープンなのと分かり難いのとどっちが良いの?」
この質問には驚いたが、笑顔で答えた。
「私は回りくどいのとか苦手だから、晟みたいにはっきり言ってくれたほうが嬉しいな」
晟の顔に笑みが浮かぶ。
それが何を表わすのか、彼女にはまだ判っていない。
名前を呼ばれて返事をすると、有羽の身体は晟の腕(かいな)に抱き寄せられていた。
「有羽が好き。この世の誰よりも、俺は有羽が大好きだよ」
耳を擽(くすぐ)る柔らかい声。
「この前カラオケで俺の歌に感動して泣いてくれたよね。すごく嬉しかった。有羽に想いが伝わったんだなって思って」
「ちょっ、晟。どうしたの急に?」
顔を赤くして逃れようとする恋人を離さぬよう力を込める。それとは逆に口では優しく言葉を紡ぐ。
「有羽が何処を見ていても、俺は有羽を見続けている。有羽が何処へ行っても俺は有羽を追い続ける。俺から離れないでくれ」
有羽から力が抜けていく。
ただ俯いて、晟に身体を預けていた。
「ずっと傍に居てほしい。この温かさを失いたくないから」
静かに腕を解放すると、有羽が潤んだ目で彼を見上げる。
「有羽、好きだ」
念を押すように囁くと、彼女の唇に触れた。
観覧車から先に降りて有羽達を待っていた彩と実春は、彼女が晟に支えられるようにして降りてきたのに驚き、慌てて掛け寄った。
見ると有羽の顔が赤い。
彩は、熱でもあるのかと不安そうに晟を見上げるが彼は困ったように笑っているだけだ。
すると晟の腕から離れた有羽が彩の胸元に倒れ込んだ。
「有羽。大丈夫?」
「…らい…」
心配そうに声を掛ける彩に、有羽が呟く。
聞き返すと今度ははっきりとした答えが返ってきた。
「晟なんて、大っ嫌い!」
そのまま彩にしがみついてしまう有羽に困惑して、彼女は晟を見た。
ばつが悪そうに頭を掻いて彼は言い訳を始める。
「いや、有羽が恋愛はオープンな方がいいって言うからさ―――」
「だからって、あんなこと言わなくたって良いじゃない!」
有羽が反論する。だが、言われた甘い言葉が耳に残っていてまた彩の胸元に顔を埋(うず)めてしまう。
どうやら有羽に熱があるわけでも、二人が喧嘩したわけでもなさそうだという事が判った先輩達は、互いの顔を見合わせ安堵の表情を浮かべた。
後輩をなだめると、そろそろ帰ろうと提案する。気が付くと辺りは夕陽で紅く染め上げられていた。
その中を歩き出す四人の男女。
先輩に、晟の酷さを訴える有羽。
親友の惚気(のろけ)を笑顔で聞く彩。
そんな二人を見守りながら互いの想いが確認出来た喜びに静かに浸る実春。
恋人の可愛さを再確認するためとはいえ、言い過ぎてしまったことを謝るための文面を考え込む晟。
それぞれが、それぞれの想いを抱きながら夕闇に包まれ始めた空の下、帰路に着く。
空には一番星が笑うように瞬(またた)いていた。
END
コーラルリング|桜左近