「くうー! 一仕事終えた後のスイーツはうまい!」
ストレス解消に酒を飲むサラリーマンが言いそうなことを口にしながら、有羽は目の前にあるチョコレート味のシフォンケーキを頬張った。疲れた後のこの甘味。たまらない。
「結局、何もなかったね」
里紗の言葉に、もぐもぐとケーキを堪能しつつ自分の考えを言おうとした時だった。
「あなたはいいわよね、仕事がなくなる心配がなくて」
と、隣に座っている女性の声が聞こえた。ため息交じりに、どこか責めているような口調に最後の一口はフォークに刺さったままだ。
ケーキと共に里紗に告げようとしていた言葉も呑み込み、女性に視線を向ける。二人の時間を楽しんでいるカップルのようだが、彼女の発言で男性の表情はこわばっている。
その後に「私の会社なんて、今月3人も辞めさせられたわ」と続き、どうやら自分がリストラされるのではないか?という悩みを打ち明けているようだった。
有羽の視線に気付いた里紗も、何も言わずにカップルの会話を盗み聞く。
「公務員なら、その点安泰だものね」
「えー、でもそれってさ、お医者さんに「あなたは足場から落ちる心配しなくていいわね」って言ってるようなものじゃない?」
「……は? 何あなた」
突然、横やりを入れられた彼女は不機嫌そうな顔で聞き返す。眉間にしわを寄せ、目は細められ怒りが伝わる。
おお……怖い。そう思ったけど、睨まれたくらいで自分の考えを変えることはしない頑固者なので、そのまま構わず里紗に話しかけた。
「もしかして、心の声が漏れてた?」
「出てた出てた。かなりの音量だったわよ」
「いやーついペロッと。何か違うな―と思って。んー、しかもさ、その会社って自分で選んだんだから、そのことでお兄さんを責めるのも間違ってると思っちゃうんだよね」
「だから、さっきからダダ漏れしてるってば。しかも声でかい」
先程から自分への返答がこないことにも、その内容にも腹を立てた女性は「ちょっと!」と声を荒げて有羽を呼び掛ける。
「あ、お姉さん。ここに何かついてるよ」
またも暖簾に腕押しの状態を続け、有羽は自分の左肩を人差し指でとんとんと叩いて見せた。
素直に有羽の示した肩に視線を向ける女性。その隙を待っていた有羽は無防備となった反対側の首筋に触れる。
首なんて、人に触れられたら何らかのリアクションをしそうなものだが、彼女はぴくりとも動かなかった。
やっぱり魄にとりつかれてた、か……。
目を閉じている彼女を見つめたまま、有羽は魄にとりつかれたであろう原因を彼氏に告げた。
「お姉さん、不安なのかもね。仕事がなくなった後、自分はどうなってるのか。お兄さんとはどうなってるのか」
このお姉さんも違うみたい。だけど、おかしいな。こんなに魄が一度に出てくるものなの?
そんな疑問を晴らすように、有羽は小さく「よし」と呟き、パチンと指を鳴らした。
それを合図に目を開く彼女は、一時の記憶を失っていたように「何を話していたんだっけ?」と彼に向かって質問した。
状況を理解できない彼に、里紗は一言だけ「一種の催眠術だと思って下さい」と怪しい言葉を残し、去ろうとする。そこへ
ジリリリリリリリリリ
と、火災報知器が鳴り響いた。
一気に店内がざわめき始め、店員の指示にそって一旦外へと避難する。
何か別の警告音のように鳴るサイレンは、これから起きることへの合図のようだった。
気を引き締め、里紗を見る。彼女も有羽と同様、何かを感じたらしく、目を見つめたまま小さく頷いた。
ひとまず智孝と連絡をとろうと試みるが、なぜかつながらなかった。スマートフォンといった類の電子機器も使えず、不安を覚えながら里紗の顔を見るが頭を横に振るだけだった。
そして後方で人々の叫ぶ声と、ガシャンと何かが割れた音がする。
一体、何が起こってるの?
音がしたエントランスに着くと、辺りは騒然としていた。当たり前だ。電気が通っているはずの自動ドアは、何故か作動しなかったのだから。
頑丈に作られているそのガラスは、重い植木鉢を投げつけようが割れることもヒビが入ることもなかった。
誰かは非常口を探そうと、誰かはそこに留まって正常に作動する時を待ち、誰かは何か方法はないかと議論を始めた。
ものの10分足らずで一変した状況に恐怖を覚える。
そこに更なる恐怖。
男性とも女性とも判断ができない合成音のような声が、先程はどうにもつながらなかったイヤホンから届く。
「言守たちよ、君たちは一体何人の犠牲者を出すのか楽しみだ」
まるで建物が自分の意志で動いているようだった。
小説目次
本編
・第1話|謎の招待状
scene01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06
・第2話|魄と朧と鬼と人形(リーズ)
scene07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12
・第3話|鬼が消えた日
scene13 / 14 / 15 / 16 / 17 / 18