ピピッという電子音の後に1班上原から連絡が入った。それは地下ルートの確保と、そこにある朧の存在、そして2層となっている地下1階部分にある制御室に向かうという内容だった。地下に向かった方が得ようとしている資料も多いことから、地下2階へと目的地を変更し、その旨を伝える──と同じタイミングで諫美が智孝達を部屋へと連れてきた。
ここで得た最大の情報であろう日誌を二人に渡し、気になったところのデータを送る。
『6月14日
とうとう我々のエンジェルが完成した。実験体の具合も良く、第2号が完成することも近いだろう。これからが楽しみだ』
『7月23日
あれから実験体の成長がとまってしまったかのように、何の変化も見られなくなった。あんなにいる中で、1体の変化もないなんて! このままでは他の奴らに先を越されてしまう。……最近、プロトタイプが成功したという噂を聞いた。いくら我々の天使が優れているとはいえ、気にならない訳がない。博士は放っておけと言うが……Rとは一体何だ?』
『8月9日
工場が襲われた。流天という野蛮な奴らが集まる組織だと聞いた。どうやら、エンジェルの肥料となるパワーストーンを狙っているようだ。我々が苦労して開発したものを無駄になどするものか』
『8月18日
二度目の襲撃。奴らはエンジェルの失敗作を連れてきた。なんということだ。いくら失敗とはいえ、我々が素手で立ち向かえるような代物ではない。……そうだ。ならば完成したエンジェルを出してしまえばいい。少し時期は早いが問題ないだろう』
『8月19日
エンジェルを出そうとしていたところを博士に見られてしまった。研究のためならいかなる犠牲も惜しまない、あの人に。私のこの行動をどう捉えたのか……もうおしまいだ。くそ!──』
そこから先は何かの文字を書いている途中で止まっていた。震えている文字、倒れた椅子や床に散らばった書類、荒らされている部屋の状態から、この時に何か起きたことは間違いないだろう。現に、遼太朗がこれを見つけたのは机の下からだった。
「何だ? これが本当なら、昨日から生物兵器は出されていたってことじゃないか。流天……聞いたことないな」
「これも恐らく、俺たちが来るだいぶ前に書かれていると思う」
智孝が憤りにも似た感情を含めた口調で、それに同意するように遼太朗は静かに意見を口にした。
「え? でも待って。それじゃあMARSは生物兵器が脱走したのをもっと前から知ってたってこと? それなのに、このテストを実行したの? 先生たちにも知らせずに?」
ショックを隠しきれない様子で有羽は言った。
「ねえ。俺たち、嵌められたんじゃない?」
諫美がついに核心をついた。
何とも言葉に尽くしがたい空気が4人の間を流れる。
「だってもう、情報収集の意味ないじゃん。実物が脱走してるんだし、MARSが先に動いてるならモノだってないだろうしね。つーか、もうこれテストのレベルじゃないよね。色々飛ばし過ぎでしょ」
「……先生がMARSにいた頃のメンバーって、もうほとんどいないんだよね?ってことは、誰がメンバーになっててもわからないってことで……」
「まさか。こういうテストでの合同調査はいつもより慎重に組み立てられるんだ。MARSの中に紛れ込んでたっていうのも、あまり考えられない」
「智がいた頃ならね」と遼太朗が最後に付け足すと、智孝は息と共に言葉を呑み込んだ。
「ううん。MARSの中に、とか依頼自体ってわけじゃなくて……。もし、この依頼を途中で『敵』が知ったとしたらどうかなと思って。私達が出発前に会ったMARSの人達全員、本物だったのかな?」
「それこそまさかな事態だけど、ありえなくはないな。だとしたらこの流天という組織は相当やっかいだね」
沈黙が訪れた。
その間も、やはり時は静かに流れていて、窓から見えるざわざわと風に揺られた葉っぱが自分達の心境を表しているようだ。
そんな中、智孝が口を開く。
「テストは中止だ。流天を調べつつ、撤退しよう。上への報告は俺がするから、遼太朗、各班長に撤退を伝えてくれ」
「了解」
「賢明な判断だと思うよ」そう言ってから、各班長へ連絡をとった。智孝の言う『上』が、以前の仲間であることと、智孝のよき理解者であることもあり、すんなりとその報告を聞きいれた。
だが、ここでちょっとしたアクシデントが起こる。
「まずいな。1班と連絡がとれない。2班はまだ下にいるみたいだから合流して地下に行ってみよう」
その問題を伝え、先頭に立ち部屋を出る。
──?
数メートル先の階段に何かがいた。歩みを止めた自分の背中に、有羽は「ぶっ」と声を上げて顔をめり込ませる。
「どうしたの?」
「……本当に女の子がいる」
「えっ!?」
急いで顔を覗かせるも、同じタイミングで女の子は壁の後ろに隠れてしまった。「ほらね」と有羽は顔に書き、そーっと女の子の方へ歩き出す。そして
「かくれんぼしてるの? それじゃ、次はオニになってね」
と明るく声をかけた。
「かくれんぼって、なあに?」
女の子は意外にも警戒心を解き、そんなことを口にしながら遠慮がちに顔を覗かせた。まだ7~8歳くらいの白いワンピースを着た女の子は、とても元気そうだった。
有羽はにこりと笑って、女の子の傍らにしゃがみ込み目線を合わせる。
「かくれんぼ、知らないの?」
こくりと頷く女の子。有羽は簡単にルールを説明した。
有羽は確かに子供に好かれる。だけど、こんな夜中に見知らぬ大人達に囲まれても、女の子は有羽の話を頷きながら聞いている。
「それで、オニに見つかったら負け……って、こんな感じだったよね?」
「見つけられた人は、オニが数を数えてた所で手をつないでるんじゃなかった? それで、まだ見つかってない人が助ける」
不意に尋ねられ、考えながら答えると、有羽は眉をひそめて遼太朗を見た。
「それって、オニごっこじゃない?」
「えー!?」
「えー?」
有羽の雰囲気と遼太朗とのやりとりに女の子はくすくすと笑い出した。
「お姉ちゃん達って、怖い人達じゃないんだね。よかった」
「あれ? 怖い人達に見えた?」
「だって、昨日も同じような服着てる人達がいたもん。それで、お父さんが悪い人達だからここにいろって言ってた」
「昨日……」
『昨日』という言葉に有羽は遼太朗たちへ視線を送る。MARSも言ってしまえば『言守』だ。その戦闘服が似ていることも確かだった。
昨日、MARSはここにいた? テストのための事前調査か? それで流天と対峙し、負けた……?
いやでも、負けたとすればMARSから連絡がくるはずだ。流天そのものがMARSとも考えにくい。
MARSには朧を欲しがる理由も、言守育成施設を敵に回す理由もない。やはり、一部のメンバーが流天と組んだと考えるのが一番自然だ。
「お父さん、今どこにいるの?」
「わかんない。寝る前までは一緒にいたけど、起きたらいなくなってた。今も探してたの」
「そっか……先生。こういう時って、保護目的ってことでいいんだよね?」
この施設内から連れ出してもってことか。確かに、ここにいてはいつ生物兵器に襲われるかもわからない状態だ。安全と思われる場所まで移動しても、とやかく言われないだろう。それにこの子は俺たちの貴重な情報でもある。
「いいぞ」と答える智孝を見て、女の子は嬉しそうな顔をして話しかけた。
「お兄ちゃん、先生なの? 何先生? マチカの先生は女の人なんだよ」
すっかり警戒心を解いている『マチカ』と名乗った少女に、有羽が代わりに答える。
「先生の名前は智孝先生っていうの。私は有羽。それでこのお兄ちゃんが遼太朗くんで、こっちのお兄ちゃんが諫美くん──いっちゃんだよ。覚えた?」
「えーっと……うん、覚えたよ!」
いきなりの紹介に智孝は嗜めるように有羽を呼ぶ。意図を汲み取った有羽は笑顔で「大丈夫だよ」と言い、続けて理由を述べた。
「いきなり『一緒においで』って言っても怖がっちゃうでしょ?」
「確かに。怖そうな男ばかりだしね」
「リョータロが言うなって」
マチカにどことなく懐かしさを感じつつ、有羽と同様、視線を合わせるように腰を落としこれからの行動を説明した。
「マチカ、今ここには怖い人達や動物がいて危険なんだ。お父さんは僕たちが捜すから、マチカは外の安全な所で待っていよう。できる?」
こくりと頷くマチカ。
やっぱり、懐かしいな。有羽みたいだ。
「もう一つ、これからマチカは僕につかまって、「いい」って言われるまで目をつぶってて。これもできる?」
「どうして?」
「その怖い人達は目が合うと襲ってくるから」
マチカはぎょっとして、何度も首を縦に振り「できる」と答えた。本当の理由に「見なくていいものを見せないため」だと気付いた有羽は、鬼には到底似合わない言葉をそっと囁いた。
ふと、マチカの様子に遼太朗は違和感を覚える。それを確認するようにこんなことを聞いてみた。
「そういえば、ここに来るまでに何か見た?」
「ううん……何も見なかった」
「──そっか。ならよかった」
マチカ、君は一体どこから来たんだろう。
その違和感を振り払うように笑みを作ると、「じゃあ行こうか」と立ち上がる。
そこへ、先程は取れなかった1班から連絡が入る。
大きく息を乱した野田実春だった。
小説目次
本編
・第1話|謎の招待状
scene01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06
・第2話|魄と朧と鬼と人形(リーズ)
scene07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12
・第3話|鬼が消えた日
scene13 / 14 / 15 / 16 / 17 / 18