「兵器と思われる人型の生物2体と遭遇しました。1体は仕留めましたが、もう1体には逃げられてしまいました。朧は『兵器の餌』として使用されていることを確認。……すみません、上原がかなり深手を負ってしまったので、1班撤退を試みます」
そう報告する実春自身も無事ではないのだろう。緊張感とその様子が息づかいで物語っていた。
大丈夫かな? ミーちゃんが息を切らすとこなんて見たことない。
「2班結城です。応援に向かいます」
背後と耳に装着しているイヤホンから女性の声が届いた。なかなか下りてこない自分達の安否を危惧してここまできたのだろう。撤退場所の確認をした後に、結城カレンは「なんとなく事情はわかったわ」とマチカをちらりと見てそう言った。
「その子は、あなた達が連れていった方がいいだろうし」
遼太朗の服をしっかりと握りしめているマチカに笑顔を浮かべる。手短に合流後の行動について話した後、カレンはすぐさま地下へと向かった。
遼太朗がマチカを抱きかかえ、その前を智孝が歩く。
「マチカ、大丈夫? 怖くない?」
「うん。大丈夫」
ぎゅっと遼太朗にしがみつくマチカは、言われた通りに目をつぶったまま答えた。その様子に安心した有羽は、後ろに警戒しながらついていく諫美に声をひそめて話しかける。
「人型の兵器ってことは、見た目も人ではないってことだよね?」
「多分ね」
「だよね……朧を餌に使うって、どういうことだろ?」
パワーストーンとして使える場合もあるから、石を埋めた土で育てるとか? その石の上を流れる水を使っているとか?
あれこれ可能性を模索していると、急に歩みも思考も先を閉ざされた。目を疑うようなその姿に息をのむ。ミイラのように茶色く干からびた薄い皮膚を全身の骨に巻きつけ、正面入口に近いやや開けた場所にソレはいた。
──生物兵器。皆の頭にその単語が思い浮かぶ。
実春の言った「人型」の意味をようやく理解する。ソレは皮膚だけではない。肩甲骨から腕にかけての骨が異常なまでに変形し、コウモリの羽のようになっていた。有羽は咄嗟に装備していた銃に手をかける。
「あれ、天使だよ」
マチカが言った。
驚き顔を見る遼太朗に、マチカは目を開けてしまったことに怒られると思ったのか「ごめんなさい」と謝る。
「天使?」
自分のしたことに怒ってないと気付いたマチカは小さく頷く。そして「お父さんが言ってた」と続けた。
天使……って、どう見ても悪魔にしか見えないけど。
「じゃあ、あれが『エンジェル』か……?」
「そうですよ。でも完成形ではありません」
びくりとして声の主を探す。メガネをかけ、40~50代と思われる白衣を着た男が、落ち着いた様子で佇んでいた。
「お父さん!」
声を弾ませてその男を「お父さん」と呼び、マチカは遼太朗から降りて駆け寄った。「お父さん」と呼ばれた男はマチカを抱きとめた後、口元を緩ませただけの笑みで「部屋から出たらダメじゃないか」と言う。
誰も何も言わなかった。
感動の親子の再会とは微塵も感じさせないその場面に、言葉を発することはできなかった。マチカは父親の腕の中で突然意識を失い、続けて倒れ込んだのだ。そして、一つまた一つと『エンジェル』は姿を現した。
「全く、あなた達流天とは野蛮な輩のようですね」
眉間部分のメガネを指でクイッと上げ、さも迷惑そうに父親は言う。
「人の研究をめちゃくちゃにしようとは……頼めばいくらでも見せますよ?──よし」
男は、倒れたマチカを指差しながら最後はエンジェル達に向かって言い放った。
「──っ!?」
思わず、悲鳴のような息が出た。目を疑った。有羽は震える手で口元を覆い、次に目を固く瞑る。今見たものは夢であって欲しい。そう願うように、きつく、強く手を握り締める。
「よし」を合図にするように、エンジェル達はこぞってマチカに噛みついたのだった。
目を閉じていても、獣が獲物に喰らいつくような咀嚼音が嫌でも耳に届く。それは時間にしたら数十秒だったのかもしれない。けれど、その衝撃は永遠ともいえるような長い時に感じた。
「餌……って、マチカのことだったのか?」
諫美が呟く。
マチカに噛みついたミイラのような兵器は、人間と変わらぬような容姿になっていた。そのコウモリのような羽と、鋭く光る刃のような爪を生やした手足以外は。
「その通りですよ。マチカは、完全なエンジェルにするために必要な餌です。この程度噛みつかれたくらいで死ぬことはありませんし、痛みも恐怖もない。それまで行き詰っていた私の研究に、その身を持って救ってくれたのです。マチカこそが本当の意味で天使なのかもしれません」
「……だから何? だから、マチカを餌にするの? 自分の欲のために、こんな小さな子を犠牲にするの!?」
男の言葉に、何かが切れた。所々流血している少女はピクリとも動かないのに。今まで笑っていたのに。痛みがないからなんだっていうの。それとこれとは全く別じゃない。
怒りと恐怖の渦が、有羽の頭の中をかき混ぜているようだった。
うつろな目をしながら語る男の姿に、智孝は眉をひそめ、遼太朗はひどく冷たい目を向けていた。そして、ゆっくりと静かに口を開く。
「これだから、朧をちゃんと扱えない人間は困る」
こんな夜中に見知らぬ人間と親しくなったり、見かけたであろう死体を怖がらなかった理由が今わかった。──マチカの体の中には朧がある。遼太朗はそう言った。
「有羽、魄がとりついてる時は何を言っても無駄だ。その意識が変わることは絶対にない。だから、優先すべきは『浄化』。智を補佐して、動きを良く見てて」
有羽は「はい」と頷いた。
「智、あいつの浄化は任せたよ」
「了解」
「諫美、マチカから朧を取り出す。一度しかやらないから、しっかり見とけよ」
「わかった」
遼太朗の気迫に圧され、視線に射抜かれたまま微動だに出来なかった男は、そこで初めて自分の身の危険に気付いた。
圧倒的なその力の差を感じさせる空気が揺らぐ。一歩、また一歩と近づき、三歩目を出し終えたと同時に、男はエンジェルを動かした。
速い──体の大きさはほぼ成人男性と変わらないくらいなのに、動きは四本足の動物並みに速かった。それが宙を舞う時も鳥と変わらない。
男の盾となるように空を飛び交うエンジェル。銃を放ったところで、頑丈な骨の鎧を壊すことはできなかった。
何とかして動きを止めない限り、男に近づくこともできないか……そんなことを考えた時だった。
「格闘技と実戦の大きな違いは何だと思う?」
不意に智孝から質問を投げかけられた。
こんな時に冗談を言うような人ではない。兄ちゃんのすることには必ず意味があった。きっとこの質問も大きな意味があるんだ。
「ルールがある?」
「それもあるな。だけど、今回は違う」
何だろう? 負けたら死ぬとか? でも、『今回は』って言ってた。今の敵を見ろってことかな。
「敵の強みはスピードと羽。武器は……爪? 飛び道具はない」
「お、よくそこに気付いたな」
感嘆するように言いながら、智孝はエンジェルに向かって銃を放った。
「っていうか、先生、右ばかり狙ってる?」
「──そう。正解は『制限時間がない』ってことだ。つまり」
執拗に左半身を狙われ撃たれ続けていたエンジェルは、その苛立ちをぶつけるようにして右手を大きく振りかぶり智孝を切り裂こうとする。
しかし、その爪が当たることはなく、代わりにがら空きとなった腹に深々と刃が食らいついていた。
「相手が攻撃してくるまで待つことができるってことだな」
「そうか。その一点の隙だけをつけばいいんだね。しかも、左に逃げることがわかっていればカウンターにもなる……」
「お前は本当に勘がいいな」
だってみっちり仕込まれましたから。無防備となったマチカの父親に、オレンジ色の炎を浴びせる智孝に向かってそう軽口を叩く。先程まで自信に満ちていた男は、愕然とした様子を見せた後に意識を閉じた。
有羽たち同様敵対する存在を鎮めた遼太朗たちは、マチカの傍らに膝をつき朧を取り出そうとしている。
そんな状況に、有羽は完全に油断していた。
マチカもその父親も兵器も、眠っているか、その機能を果たしていない。そんな状況に。
一変したのは、突如右肩に感じた衝撃と痛みだった。
強めに押された肩から、乳白色の鋭い突起物が数本生えていた。
……これは、何?
状況を把握する間もなく、それは抜かれた。
そして、直後に走る激痛と流れ出る血液。
「──あああああああっ!!」
痛い痛い痛い!
足と右肩に力が全く入らなかった。息がうまく吸えずに、よだれと涙が零れ落ちた。
体が熱い。痛い。熱い。痛い。気持ち悪い、苦しい。様々な感覚が全身を駆け巡るようだった。同時に体がほのかに光る。
一体、何が起きたの? パニック状態の有羽の耳に、色んな音が届いた。遼太朗たちが有羽を呼ぶ声、突起物の元への銃声、そして背後から冷たく響く男の声だった。
「1,2,3……すごいな、朧が5つもある」
──この人は、一体何を言っているの?
小説目次
本編
・第1話|謎の招待状
scene01 / 02 / 03 / 04 / 05 / 06
・第2話|魄と朧と鬼と人形(リーズ)
scene07 / 08 / 09 / 10 / 11 / 12
・第3話|鬼が消えた日
scene13 / 14 / 15 / 16 / 17 / 18