「ねえ、私がお邪魔だったら、外に出てくけど?」
事情を知っている人のこの発言は、智孝と有羽を赤面させるには充分だった。有羽はそれにプラス、手を左右に勢いよく振っている。
「いや、そんな必要ないから! っていうより、里美がいないと困るし」
「なんで? 人が居る方がしにくくない?」
「何を考えてるだ、お前は。人がいてもいなくても、何もしないぞ俺は」
「ちょっと、お兄ちゃん! それ、女の子には禁句よ」
呆れた様子の智孝に、里美が怒ったように反論する。机についた両手がその怒りを象徴しているようだ。
「何のアプローチもないと、女の子は自分に魅力がないからだって思っちゃうの」
「いいよ、里美。私に魅力ないのは本当だし」
「そんなことはない」と、智孝がフォローを入れる前に里美がその役をとってしまった。有羽の腕を軽く掴み、真剣な眼差しを向ける。
「有羽は魅力的よ。内面も体も」
「……最後はいらないから」
里美の発言に、赤くなって俯く有羽の体についつい視線がいってしまう智孝。まだ見たことのない服の中身に、智孝はごくりと唾を呑み込んだ。
「でも、真面目な話、うかうかしてると本当に誰かにとられちゃうわよ、お兄ちゃん」
声のトーンが変わり、智孝も先程とは違った目を向ける。里美はそこから理由を聞いているのだと思い、口を開く。
「同じクラスの男子で有羽のこと狙ってそうな奴がいるのよ。そいつにお兄ちゃんとのことを言ったら、なんて返ってきたと思う? 伊藤の兄貴じゃ、大したことなさそうって言ったのよ!」
「それは、お前の人格が問題じゃないのか?」
「その後の有羽が必死でお兄ちゃんを庇うあの姿……けなげでかわいくて、私が彼氏だったらその場で押し倒してたわよ!」
「よかったな、有羽。彼氏が里美じゃなくて」
暖簾(のれん)に腕押し。里美はさらっと問題点を摩り替える兄に怒りを覚えた。
「有羽、今さらだけど、お兄ちゃんのどこがいいの?」
「兄ちゃんは優しいよ。なんだかんだ言っても私のわがままに付き合ってくれるし、私が悩んでたら相談にのってくれるし、そのアドバイスも的確だし。一緒にいると楽しくて安心できる、頼もしい人だもん」
照れ笑いを浮かべてそう答える有羽に、智孝は結構な感動を受けていた。抱きしめたい気分にかられるが、位置的にも状況的にもそれは許されず。
「有羽! 私にのりかえなさい!」
と、里美が代わって抱きついた。智孝は我が妹ながら頭の痛い奴だと呆れ、有羽はけらけらと笑うだけである。
未だ有羽に抱きついたまま里美はふいに顔に陰りを見せる。
「私もさ、自分のお兄ちゃんだから悪く言いたくなかったけど……そいつが言ってたように、お兄ちゃんて大した人じゃないのかもね」
「里美?」
「だってそうでしょ? 有羽を不安にさせてばっかりで。いいじゃない、何が問題なのよ? 彼女はOKって言ってるのに! 結局お兄ちゃん、意気地がないのよ!」
今までの相談で有羽の気持ちに共感していた里美は、怒りをぶつけるように智孝を睨む。智孝もこれにはむっとした様子を見せ、反論し始めた。
「お前には関係ないことだろ」
「大ありよ! 親友だもの」
「関係ないだろ」
智孝はため息交じりでそんなことを言う。里美もそんな兄の姿や思い当たる節に先程の勢いはなくなったものの、攻撃の手は緩めない。
「わかってるわ。お兄ちゃんが有羽を大切に想っているからこそって。でもね、何か違う気がする。傍から見てても、お兄ちゃんの態度って素っ気無いもん。有羽が不安に思うの無理ないよ。──お兄ちゃん、何か隠してない? まさか、本当に有羽のこと彼女として見てないとか」
「そんなわけないだろ。変なこと言うなよ」
少しずつ智孝が苛ついているのがわかった。表情も口調も随分と険しくなってきている。
二人のことでどうして里美に口うるさく言われなければならないのか。なぜ有羽に伝えるべき気持ちをこんな口論の場で言わなければならないのか。同じようなことを彼女と妹に言われ、かといって行動に移せないもどかしさ。──様々な理由が智孝の心をざわつかせているようだった。
「じゃあ、何で?」
「後悔したくないんだよ!」
つい出てしまった言葉に、一同が、その場の空気が、凍ったように張り詰めた。
有羽や里美の表情から、誤解が生じていることに気付くが、智孝は声を発することが出来なかった。
なんて言えばいい? きっと、今、どんな言葉を繋げても単なる言い訳にしか聞こえない。
智孝の予想通り、里美はわなわなと身を震わせ、顔を赤くしながら睨みつける。
「何よそれ! どういう意味──」
ぱんっ!
突然手を叩いた音が一つ鳴り響き、智孝と里美の意識を互いから外させた。
「はい、ストップ!」
その仲裁をしたのは、他でもない、有羽だった。
二人は戸惑いの色を隠せずに有羽を見つめる。視線の先にいるその人は、寂しそうな笑顔を浮かべて口を開いた。
「ケンカはやめよ? ごめんね、私が泊まるなんて言ったからだね」
「……有羽のせいじゃないよ」
「ありがと。でも今日は里美の部屋に泊まらせて? 家にもう電話しちゃったし、ケンカ別れってちょっとヤだから」
ばつが悪そうにして、各々頷く二人。有羽はにっこりと笑って里美の手を引く。
「またゲームしよう! 私、アクションがいいなぁ。ちょっと派手なの」
「うん……」
「あ、兄ちゃん、テーブルの上、あとで里美と一緒に片付けるから。ごちそう様でした」
そして里美を先に部屋へ向かわせ、リビングを出る──その直前に有羽は半身だけ振り返り、小さく笑って声をかけた。
「ごめんね」
どうして有羽が謝るのか? 何に対して謝ったのか? また、どうして彼女を誤解させたままにしてしまったのか、そして彼女を傷つけてしまった自分の不甲斐なさ。
智孝は顔を歪めて、テーブルに両腕を押し付ける。悔しさが立ち込める。その怒りを吐き出すように、智孝は低く己を罵倒した。