ささくれ

 最初はただの“親友とよく話す女の子”だった。
 いつからだろう。君が、胸に引っかかるようになったのは───

ささくれ

「うーん、これどう考えても時間がないなぁ。どうしよう……晟(せい)にお願いしてみようかな?」

 玖堂有羽(くどう ゆば)は書類とにらめっこをしながら、そんなことを呟く。

 彼女の担当である仕事は、いわば書類の管理・整頓だ。レポートとしてまとめなければならない要件と、人に渡さなければならない書類やら雑用が重なってしまった。

 僕は僕で役割があるからとの配慮なのか、同じ生徒会役員に頼み事は一切してこなかった。

「何か手伝お……」
「あ!晟、ちょうどよかった」

 僕が腰を上げるのと同時に、廊下を歩いていた樫倉晟(かしくら せい)に気付く彼女。結局僕の存在もなくなり、彼女は自分の用件の消化と小さな喜びを得たのだった。
 わかっていることじゃないか。今さらだ。
 僕は息を一つ吐き、椅子に座り直した。

 多分、僕が玖堂を好きになった時には、彼女はもう晟に恋をしていた。
 そしてそれは、きっと叶うことだろう。
 僕の親友にとって君は──特別な存在なのだから。

 高校に入ったばかりの頃、僕たちは同じクラスになった。しかし、彼女との会話は皆無に近かった。彼女と話すようになったのは、同じ委員会──生徒会役員というつながりが僕と彼女の絆を作った。
 でも、僕よりも先に彼女との交流を深めていた人がいた。

 あれは、梅雨の季節。傘を忘れた玖堂に、代わりのものとして自分の制服を貸したのだと晟は言っていた。それからだ、二人が話すようになったのは……。

 晟は運動神経もいいということもあって、後に知り合った玖堂の幼馴染みであるバスケ部のエース遠藤(えんどう)と意気投合する。それもきっと仲が好転する理由であったに違いない。
 玖堂が遠藤の話を楽しそうにふっても、僕はうまく返すことができない。

「遼(りょう)って、あれでいて結構気遣い屋さんでね、バスケが絡むと余計に遠慮が出たりするんだけど、今日の遼は本当に楽しそうだったなぁ」
「今日? 朝練でも見たの?」
「ううん。お昼休みにやきそばパンをかけて晟と勝負してね」
「──晟?」
「うん」

 驚いた。彼女の口から当然のように出てきた親友の名前。
 一体、いつから『晟』と呼ぶようになったのか──僕の心はざわつき始めた。

 僕はそのことを尋ねたつもりだったのだが、遠藤の対戦相手と捉えた彼女はにっこりと笑って答えた。

「……へえ。それで、どっちが勝った?」

 動揺を隠すように会話を続ける僕には少しも気付かない様子で、玖堂は声を弾ませる。

「それが引き分けだったの! 晟ってすごいよね! だって絶対遼は本気出してたもん」
「まあ、晟はスポーツなら何でもこなせるけど、中でもバスケは得意みたいだからね」
「へー。じゃあさ──」

 その後はどんなことを話したのか記憶になかった。残っているのは、玖堂の楽しそうな様子と、互いを名前で呼び合うようになったという事実だけだった。

「こんにちは。有羽、いるかしら?」

 遠慮がちにノックされたドアから、もう顔なじみになっている女生徒が姿を現す。僕は、その人が玖堂との絆を深めてくれるであろうと認識していることもあり、笑みを浮かばせて出迎えた。

「玖堂は今、用があって席を外していますよ」
「そう……。部のことでちょっと聞きたいことがあったんだけど……」

 海白彩(うみしら あや)先輩は少し困った表情を浮かべる。

「僕でよければ相談にのりますけど?」

 それは単なる親切心に過ぎなかった。けれど後に、これは僕の心を大きく変える棘(とげ)となった。

 頷く海白先輩とのやりとりを見ていた玖堂は、いらぬおせっかいをし始める。自分と同じ様に、大切な先輩にも幸せを感じてもらいたいのだろう。しかし、そこに僕の気持ちはなかった。

「彩ちゃん、今日はこないのかなぁ」
「……先輩だって忙しいんだよ」
「んー、そうなんだけどさぁ。最近一緒に帰れなくて寂しいなと思って」

 ふう、と一つ息を吐いて机に突っ伏す玖堂。しかし僕は、彼女が半分嘘をついていることを知っている。

 先輩と下校できなくなった分、新たに生まれた幸せが、君にはあるじゃないか──そんな言葉が喉まで出てきて、引っ込んだ。

「彩ちゃんの作る話って好きなんだぁ。中学の時に、演劇部と小研(小説研究)部のコラボがあってね。そこで初めて彩ちゃんと知り合ったんだよ。彩ちゃんてかわいいし、頭もいいし、優しくって憧れちゃうなぁ。神谷くんもそう思わない?」
「海白先輩のことを狙っている人は多いだろうね」

 当たり障りのない感想を述べると、玖堂はがばっと体を起こし、やや興奮気味に話題を続けた。──が、最後に顔を一瞬曇らせたのを僕は見逃さなかった。

「だよね! 彩ちゃんのことを聞いてくる男の子、結構いるもん」

 それは晟も例外ではないと言いたいのだろうか?しかしそれは答えを知ることもなく消えていった。

「そういえば、神谷(かみや)くんと晟って中学一緒だったんだよね? 私たちも同じだったら面白かっただろうね」
「まあ、そうかもね。でも僕は、出逢ったのが今でよかったと思ってるよ」
「え? 何で?」
「……昔の僕を知られたくないから」

 そう。あの頃の僕を知るのは晟だけでいい。
 人には知られたくないことが一つや二つあって当然だ。特に君には──

「ふーん。そう言われると余計に知りたくなるけど……でもやっぱり私は一緒がよかったなぁ。もっと長い時間過ごしたかった。うーんと、共有っていうんだっけ? 思い出話した時に一緒に笑えたらいいなぁって。あ、ねえ、昔の晟ってどんな感じ? 神谷くんしか知らないって、なんかちょっと羨ましい」

 この時ほど晟のことを楽しそうに話す玖堂に、無神経さを感じたことはなかった。胸の奥からむかむかと重苦しい波が発生する。

 僕はその感覚に顔を歪めそうになり、それを食い止めるために出た言葉は、自分でも驚くべきものとなった。

「──晟は変わらないよ。早くに出会っていようが、もっと後のことだろうがね。君に対する気持ちもきっと変わらない」

 玖堂の顔が一瞬にして強張る。
 これ以上何も口にしてはダメだと思う反面、止めることも叶わなかった。

「晟との関係が進展しないからって、僕につまらないヤキモチ妬かないでくれる?──迷惑だよ」
「ご、ごめん」

 玖堂が謝ったことにも、止められなかった自分の暴走にも、腹が立って仕方なかった。

 君は謝らないでくれ。つまらないヤキモチを妬いたのは僕の方だ。

 結局いたたまれなくなった玖堂が生徒会室を後にするまで、僕らは顔も見合わせず一言も発しなかった。
 退室前にもう一度謝った玖堂の声色は、確かに彼女が傷ついたことを表していた。

 でもこれ以後、僕が謝ることもしなければ、玖堂がそのことに触れてくることもなかった。

 あの時、僕に出来ることは一体何だったのだろう?
 大切な友人と愛しい君。
 どちらも選べることが出来ない僕を哀れむのなら、どうか笑っていて欲しい。そして、決してあの時の理由を聞かないで欲しい。

 永遠と告げることがないであろう、僕と君の心のささくれ。

END

SCENE2|きっかけの雨

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