「玖堂(くどう)って初めてのタイプだったから、ちょっと興味があっただけだよ」
彩(あや)先輩の発言を聞いて、昨日聖(ひじり)がどこかすっきりしたような顔で言っていたのを思い出した。
放課後の東校舎の裏。そこは掃除をしに用務員の人くらいしか来ない場所だと思っていたが、偶然にも彩先輩が通りかかっていた。そして、表情を見ていない人には誤解されそうなこの聖の発言を聞いてしまったのである。あと少しその場にいたら、きっと彩先輩は違う意味で逃げただろう。
「それに、今は海白(うみしら)先輩のことが気になるよ」──そう聖は言ったのだった。
遊園地の入口で待ち合わせをしてからずっと行動を一緒にしてきた俺たちだったが、生徒会役員である有羽(ゆば)と聖が映画部の人たちと夏の制作について話し合うことになり、彩先輩と二人で話がしたかった俺は彼女を呼び出し、軽く食事をとっていた。
そこで昨日の放課後のことを話題にしていたのだが、聖の爆弾発言を知らない先輩は顔を曇らせて言ったのである。「神谷(かみや)くんは有羽のこと好きなのよね」と。
俺が過去形で肯定すると、目の前の先輩はやっぱりどこか不安げな様子で、俺の言葉を繰り返すようにして聞き返してきた。
「そ。まあ、俺が言えるのは、今日聖がここに来たのは、有羽がいるからじゃないってことかな」
昨日の放課後、彩先輩の姿を目撃してから教室に戻った俺たちは、有羽の友達でもある里美(さとみ)に今日の集団遊園地デートに誘われた。俺はもちろん行くことに即答したのだが、驚いたのは聖も参加の意を表したことだった。しかし、メンバーの中に小説部部員がいることを確認したのを聞き、彩先輩も行くからだと気付いた。
「それに、聖から一緒に来たいって言ったんだよ」
「……どうして?」
彩先輩は俺の答えに期待をしているような、なんともからかいたくなる面持ちで尋ねる。
それは俺が言っちゃダメでしょ。思ったことをそのまま口にすると、彩先輩は恨めしそうな顔をして俺を見た。
でも先輩、先輩の中で出てる答えで合ってると思うよ。そんな意味も含めて笑うと、先輩は恥ずかしさをごまかすようにして残りのジュースを飲み干した。
時間をちらりと確認すると、話し始めてから15分が経っていた。有羽のいないこの時にある用事を済ませたかった俺は、彩先輩にもう少し付き合ってもらおうと用件を伝えた。先輩は少し呆れたような顔をしながらも席を立つ。そして、入園してまもなく寄ったお土産店に向かった。
「あ、あったわよ。確かこれだったはず」
彩先輩はそう言って一つのネックレスを指差した。
そこはアクセサリーを多く取り扱っている店で、店内も女性客で賑わっていた。たまにカップルが入ってくるが、圧倒的な数の差に、ここへ男一人で入るのは少し勇気がいる。有羽が欲しがっていた物も知っている先輩を誘って間違いではなかったなと、一人心の中で頷いた。
この店に入る時、有羽は妹に頼まれた物を買いたいからだと言っていた。彩先輩や里美も一緒に連れて行ったが、10分もしない内に出てきたことと、里美の「自分のは買わなかったんだ」という発言から、俺はその時に有羽が欲しがっていた物をプレゼントしようと決めた。驚かせたかったので、先輩には急に付き合ってもらうことになったけど。
その恩人ともなる先輩を見ると、彼女はそのネックレスの下のショーケースに並んでいる指輪に視線が釘づけだった。
「先輩はどれがいいの?」
「え? えーと、この真ん中のリング」
見ると、薄い水色の石がはめ込まれているシルバー色の指輪だった。彩先輩に似合いそうだ。
予算的にも余裕があった俺は、それも手に取りレジに向かう。後を追う先輩は不思議そうな顔で俺を呼んだ。
「先輩にもお礼に」
「え? いいわよ、私は」
「まあまあ」
慌てて俺の行動を止めようとする先輩を手で制し、アクセサリーを店員に渡す。
会計も包装も終わり、先輩の分だけ先にプレゼントすると、店の出入り口で有羽と聖の姿が見えた。
いつからいたのか? と疑問に思ったのも束の間、その場を去ろうとしていた有羽は段差に躓(つまづ)き、そのまま聖の胸に飛び込んだ。
慌てて離れようとする有羽だったが、聖がそれを止めているのか、二人はくっついたまま──笑った。
この時、瞬時にして体が熱くなった。事故だってわかってるし、有羽も俺の彼女じゃない。だけど、目の前で好きな子が他の男に触れられてるのを黙って見てられるか。
「樫倉(かしくら)くん?」
彩先輩の声で我に返った俺は、なんとか笑おうとしたが、中途半端に口角を上げただけに終わった。
「先輩、付き合ってくれてありがとう」
それだけ言うと、もう止められなかった。みっともないのはわかってる。誰かが、男の嫉妬ほど醜いものはないって言ってた。だけど、それがどうした?醜いだろうが何だろうが、知ったことか。有羽に触んじゃねーよ。
「晟(せい)?」
店を出た時には離れていた有羽が、少し不安そうな顔で俺を見つめる。俺が怒ってるってわかってるんだ、きっと。そんな有羽の手をつかんで俺はどこともなく歩き出した。
通り雨があったのか、地面が濡れていて所々に水たまりがある。そのせいもあってか空気がひんやりとした。
「ね、ねえ、彩ちゃん置いてきちゃっていいの?」
無言のまま歩き続ける俺に、有羽は不安げに質問を繰り返した。
「おみやげ一緒に見てたんでしょ?」
「見てたよ」
「じゃあ……」
そこで言葉を切り、有羽の足が止まった。俺が振り向くのを合図に、有羽はつないでいた手をほどく。
「相手、間違ってるよ」
うっすらと涙を浮かべながら有羽は笑みを張り付ける。そんな顔を見たら、後悔といとおしさが同時に込みあがってきて、俺は有羽の手首を掴むと近くにあった建物の壁を彼女の背にし、片手で行く手を塞いだ。
「間違ってない」
それだけ口にすると、何かを言いかけた有羽の言葉を俺は飲み込んだ。
ピクリと有羽が驚いたのが唇から伝わった。
「な、な、なんで」
「好きだから」
離れた直後に顔を真っ赤にしながらそう尋ねる有羽に一言だけ返し、もう一度キスをした。
いい加減気付けっての。
「だって、彩ちゃんは?」
「なんで先輩?」
「……プレゼントしてたから」
そこら辺から見てたのか。先輩にプレゼントしたことに後悔はしてなかったけど、考えが浅かったことに悔んだ。
今度は腕の中で彼女の存在を感じると、謝罪の言葉と共に理由を告げた。有羽が顔を上げたのを機に、俺は財布をしまう時に一緒にカバンへ入れたプレゼントを取り出し、彼女の前に差し出した。
「いいの?」
頷く俺に有羽は「ありがとう」と言って、嬉しそうに袋を開けネックレスを手に取った。そして器用にそれを身に着けると、有羽は少し照れた様子で「どう?」と首をかしげる。
「かわいいよ」
「だよね! こういうかわいいの欲しかったんだぁ」
その様子から、かわいいと言った対象が食い違っているとわかったが、なんとなくからかうタイミングを逃した俺は、もう一度お礼を述べる彼女の顔を覗き込むようにして視線を合わせた。
「で、返事は?」
きょとんとする有羽をふわりと抱きしめ、ヒントを口にする。
「まあ、キスが先になっちゃったけど」
すると有羽は、漫画の世界なら効果音で「ボンッ」と書き足されるような勢いで顔を一気に紅潮させた。
「有羽は?」
「私も……好き」
「うん、知ってる」
「な、何それ! じゃあ何で聞いたの?」
言わせたいからと答えると、有羽は怒った様子で「嫌い」と言いながら腕を突っぱねて俺から離れた。
身長差から上目使いになっている彼女と視線を合わせ、なだめるように笑う。すると目をそらした有羽は自分から離した手を、再び俺の手へと伸ばす。そっと添えるようにしてつかむと小さく呟いた。
「……嘘。大好きだよ」
驚いた。普段、さっぱりとした性格の有羽がこんな女の子らしい一面を持っているなんて知らなかった。嬉しさと愛しさが溢れ、それを抱きしめるという行動に表した俺に彼女は戸惑う。
きっとこれからも有羽のことを知る度に驚くことがあるだろう。けど、それは嬉しい驚き。俺だけが知る彼女に期待を膨らませ、腕の中の温もりを更に抱きしめた。
END