自室に入り、電気を付けようとした手が止まった。
淡白い月明かりが室内を照らしている。
いつもはそのまま電気を付けてしまうが、今日は何故だか月を見たくなった。
誘われるように薄明かりの中、窓まで辿り着くと開けて空を見上げる。
そこには綺麗な満月が浮かんでいた。
暫し見上げていると、話し声が聞こえてきたのでそちらへ視線を落とす。
「……有羽」
隣りの家に住む女学生。
そして密かに想いを寄せている幼なじみだ。だがそれを伝えることは出来ない。何故なら―――
「送ってくれてありがとう。晟も気を付けてね」
「ああ。それじゃ、また明日」
「うん。ばいばい」
彼女と別れて帰路につく男性。有羽の恋人であり、自分の友人でもある。
溜め息を吐いて、また空を見上げた。
いつかこうなる事は判っていた。
あれはまだ有羽が高校に進学する前のこと。いつものように彼女が自分の部屋に来た時にこんな事があった。
「ねえ、智孝兄ちゃんって彼女いないの?」
「いたらお前とこんな事していないだろ」
有羽は母親に頼まれた折り紙での七夕飾り製作を、智孝にも協力してもらおうと持ち込んでいた。
「そうだよねー。でもモテるんでしょ?」
その質問にはさすがに苦笑する。
「いや、そんなことはないと思う。告白されたこともないし」
「じゃあ、私が高校に入っても兄ちゃんに恋人がいなかったら、私がなってあげるね」
有羽は驚いて自分の顔を見つめる視線を受け止めていたが、慌てて付け足した。
「あ、勿論冗談だからね。兄ちゃんには相応しい彼女がきっと現れるよ」
うんうん、と頷いて「ところでさー」と話題を変えた。
それ以来彼女が女性関係について聞くことは無くなった。
あの時有羽は驚いた自分の表情が不快なものに見えたから誤魔化したのかもしれない。もしかしたらあの言葉は有羽の想いだったのかもしれない。
そう思うようになってからも自分達の関係を壊すのが恐くて何も言えなかった。
ただいつも通りに振る舞って、自らの想いを隠して。
俺は恋愛について鈍感で臆病だった。そして、今も。
「あの時も、今頃の季節だったな」
月明かりの中、そっと目を閉じる。
もうすぐ有羽が短冊を持ってこの部屋に来るだろう。それまでにこの想いは封じておかなければならない。
深呼吸をするとチャイムが鳴った。そして、彼女の元気な声と階段を昇る音が聞こえてくる。
「智孝兄ちゃん。願い事、一緒に書こうよ」
END
月明かり|桜左近