沈みゆく夕陽が人々の列を紅(あか)く染め上げていく。
その中に海白彩と伊藤智孝もいて、緩やかな太陽光に照らし出された彼女の表情は心なしか憂いを帯びているようにも見えた。
列の先頭には、この遊園地の呼び物である巨大観覧車がそびえ立っている。
順番を待って乗り込むと、向かい合わせに腰掛けた。
「(智孝さんと初めて乗った時もこうやって座ったっけ)」
夕闇に溶け込みつつある街並みを眺めながら彩はその時を思い出していた。
「最後はやっぱり観覧車で締めなきゃね」
そう言いながら玖堂有羽は巨大な人気スポットに指を向ける。
今日は有羽とその彼氏である樫倉晟(かしくら せい)、それに二人の知り合いである智孝と有羽の親友である彩の四名で、この遊園地に来ていた。
人数が多いほうが楽しいから、という有羽の誘いに乗ったものの彼女の知り合いである晟も智孝も、彩にとってはまだあまり親しくない男性陣だった。
それでも有羽が間に入って盛り上げてくれたので疎外感を味わうことなく楽しい時間を過ごせていた。
有羽が観覧車を指して言った言葉に同意したのも、自分もそう思うからという気持ちとは別に、有羽の言う通りにすることで感謝の思いを表わしたかったからである。
「そうね。私もそう思うわ」という彩の台詞に有羽は笑顔を浮かべると、じゃあ決まりね、と列に並び始めた。
順番が来ると有羽は彩と智孝に先に乗り込むように促(うなが)して「私達は後続に乗るから」と笑顔で手が振る。何かを言おうとした彩の目の前で扉が閉まり、ゴンドラは男女二人きりの空間になった。
「(もう。有羽ったら…)」
個人的に話したこと自体が数えることしかない先輩と同じ空間に閉じ込めて、どうしろと云うのよ。
心の中で後輩に文句を言いながら窓の外へと視線を向ける。
ま、有羽だって彼氏くんと二人きりになりたいわよね。そう結論を出すと軽く息を吐いた。
緩やかに遠ざかる風景を眺めていると、目の前の男性に謝られた。
「海白、ごめんな。有羽は自分と仲の良い人間はその人達同士でも仲良しだと思っている節がある。だから突然こんな組み分けをしたりするけれど、悪気があってやっているわけでは無いことは分かってほしいんだ」
驚いて智孝を見ると彼は穏やかに微笑んでいた。
彩はつられるように笑顔を浮かべると小さく頷き
「はい、知っています。有羽は伊藤先輩や樫倉くんにはとても心を許していて、その輪の中に入れて貰えたことを嬉しく思っているんです。それに彼女は私が孤立しないようにちゃんと心を払ってくれていましたし」
そう伝えると、先輩は「そうか。それならいいんだ」と笑い、それは妹を思う兄の表情に良く似ていた。
それから二人は観覧車の個室が地面に着くまでの少し間、会話を楽しんだ。主に後輩である有羽についての事だったが、伊藤智孝の彼女を包む優しさに触れて彩は心が暖かくなった。
こういう男性(ひと)と一緒にいることが出来たら素敵だろうな。
そう思うほどに。
「(それから少しづつ智孝さんと話すようになっていったのよね。憧れが恋愛感情に変わるのに、そう時間は掛からなかった…)」
街明かりが点り始めるのを見下ろしながら彼に恋心を抱いた日を思う。
伊藤智孝も同じことを考えていたのだろう、彼女の心を読んだかのような言葉を口にする。
「この観覧車が俺達の始まりだったよな」
柔らかな声に「はい」と頷く。彼の言う通り、智孝と恋人関係になったきっかけも『ここ』だった。
「智孝さん、あの時の言葉を覚えていますか?」
彩が顔を正面に戻しながら問い掛けると、智孝は優しく笑んでいる表情を崩すことなく言った。
「ああ。今も同じ気持ちだよ」
一瞬きょとんとした表情を浮かべた彼女の体温が急上昇する。
告白は智孝から彩に寄せられた。彼はその事を言っているのだ。
頭の中にその時の智孝の言葉がよみがえり、
「え?あ…いや、そうではなくて───。いえ、嬉しいんですけれど、あの…」
自分で何を言っているのか解からなくなりそうだった。
真っ赤な顔でしどろもどろになる彼女を穏やかな微笑みで見つめて、智孝はゆっくり口を開いた。
「観覧車の頂上から燃えるような夕焼けが見たい」
それは海白彩と云う女性に思いを伝え、受け入れてもらった後に言った言葉だった。それからくすっと笑って付け足す。
「いつか君と二人で、ね」
口にしながら彩の隣りに移動し腰を下ろすと、頬に唇を寄せた。触れられただけのその行為に彼女は口を開閉させることしか出来なかった。何か言おうとしても頭の中が真っ白で言葉にならない。
自分の突然の行動に固まる愛しい女性を智孝は胸に抱(いだ)いた。
約束をした日から何度かこの観覧車に乗る機会があったが、いつも陽(ひ)が暮れてからゴンドラに足を踏み入れていた。それは偏(ひとえ)に伊藤智孝が想い人の寂しげな表情を見たくて、わざと時間がずれるように計算して遊具を選んでいたのだ。
けれどそれも今日で終わり。
彩のことが愛しくて堪らなかった。
今までも愛しいと思ってきた。だがそれは今の気持ちに比べれば何て些細な想いだろう。彼女に笑っていてほしい。幸せだと感じてもらいたい。
そう強く願う。
大きな円を描く乗物を下りると、海白彩は空を見上げた。
「見て下さい、智孝さん。ほら、一番星」
指の先には紺色の空に瞬(またた)く星があった。
「何かお願い事をしちゃおうかしら」
流れ星と勘違いしているわけではなさそうだが、そう言って笑う。
それからそっと、智孝の腕に自らの腕を絡ませた。
「次こそは夕焼けを見よう。約束するよ」
優しい男性の声に頷く。
観覧車という特殊な空間の中で、互いへの想いが強くなっていく。
『幸せ』という言葉は今を表わすためにあるのだと、ふと思った。
顔を見合わせると笑い合った恋人達は、腕を組みながら夕闇の中へ紛れ込んでいった。
END
切望の風景|桜左近