平行線

くらりと身体が揺れた。
自らの頭を軽く押さえて神谷聖(かみや ひじり)は机に手を置く。

「大丈夫?聖くん」

優しい女性の声が彼に掛かる。
聖は椅子に腰を降ろしながら大丈夫だと答えた。

「ちょっと熱っぽいだけだから」

しばらく休めば治るだろう、そう判断した彼は少し痛む頭に目を瞑(つむ)る。
それを見た彼女は小走りで聖のもとに駆け寄り「本当に大丈夫なの?」と心配そうに言葉を掛ける。
その際に何かが彼の額に当たった。
疑問に思い瞳を開けたが、焦点が合わず初めの内はそれが何なのか良く判らなかった。だが直(す)ぐ目の前にあるのが女性の顔であることに気が付いた。
驚き身体を退(の)け反(ぞ)らせる。彼女は熱を計ろうと聖と自分の額をくっつけたのだ。
顔を真っ赤にする彼にその女性は
「熱、あるみたいだよ。顔も赤いし。今日は帰ったほうが良いんじゃないかな。生徒会長には熱があるから早退したって言っておくから」
心から心配している彼女に半分は君のせいだとも言えず、そっと溜め息を吐(つ)いて帰宅準備を始めた。

途中まで帰り道が同じな為、海白彩(うみしら あや)は付き添いという形で神谷聖と共に帰路についていた。

聖は彼女に先程のことを告げて相談する。

「どう思いますか、海白先輩。そういう行動って」

それを受けて彩はくすくす笑ながら
「有羽(ゆば)らしいわね」
と親友である後輩の名前を口にした。

「それよりも、熱は大丈夫なの?本当に顔も少し赤いし…」
心配そうにする彩に微笑みを送り
「はい。帰宅したら今日はもう寝ます。心配して下さってありがとうございます」
その笑顔に体温が上昇するのを感じ、慌てて顔を正面に戻した。しかし聖はそんな彼女の行動を気にも止めずに視線を遠くに向ける。

そしてぽつりと
「有羽は、誰にでもあんな風にするのでしょうか」
寂しさを含んだ呟きは彩の胸を締めつけた。だがそれを表面に表わすことをせず「そうねぇ」と少し考え込む仕種を取り、優しく語り出した。

「確かに有羽は普通の女性がしない行動を取ったりするわ。でも誰にでもってことは無いわよ。彼女だって女の子なんだから嫌いな人や親しくない男性には触れたいとも思わないでしょう。つまり、有羽がそういう行動を取ったと云うことは神谷くんに好意を抱いている、と考えていいと思う」

玖堂(くどう)有羽の親友である先輩にそう言われて、神谷聖は驚いた表情をした。
そんな彼を見つめて彩は付け加える。
「あと有羽が好意を持っているのは智孝(ともたか)さんと…」
言いながら彼女は先日後輩から受けた相談を思い出していた。

「ねえ彩ちゃん…。彩ちゃんには好きな人って、いる?」
「どうしたの?急に」

放課後、図書室で調べ物をしていた海白彩の手伝いをしていた有羽は、区切りがついて席に腰を落ち着けた親友にそう言葉を掛けた。
突然の質問に驚いた彩はその理由を問う。

「う…ん。私って、浮気性…なのかなぁ」

珍しく歯切れ悪く喋る後輩が気になり、本をめくる手を止めて彼女を見た。
(うつむ)き椅子に座って足を揺らしている有羽は、それきり黙っている。急かすことをせずに彩は静かに彼女が話し出すのを待った。
(しばら)くしてからようやく、あのね…と口にした。

「私、小さい頃からずっと、ずぅっと智孝兄ちゃんが好きだったの。あ、今も好きなんだけどね。でも…」
沈黙。
「話をするのが辛いのなら無理にしなくてもいいから。また別の機会にでも聞くわ」
彩はそう助け船を出した。だが有羽は首を振って聞いてほしいと懇願した。

「今、好きな男性(ひと)がいるの。智孝兄ちゃんと同じくらい…ううん、それ以上かもしれない。でもその人には好きな女性がいるみたいで…。私は自分が恋愛に関しては一途(いちず)だと思っていたから智孝兄ちゃんと違う男の人を好きになることや、その人に好きな人がいることに悩んでいることが悪いことに思えて…」
「智孝さんは知っているの?」
「…うん。この前その人の後ろ姿を見て溜め息を吐いている私の頭を笑いながら叩いて、頑張れよって応援してくれた」

そう、と答えたが有羽の好きだと言う男性を知りたい好奇心に負けて名前を聞く。

「それで有羽の好きな人って、誰?」

口を閉ざしてまた俯いてしまう。そして言いにくそうに彩の顔を上目遣いで見る。
心当たりが無い彼女は首を傾げて微笑みながら答えを待っていた。

「……聖くん」

消え入りそうな声で告げられた名前に息を呑む。だが後輩は自らの心の問題に直面していた為に先輩の変化に全く気付かなかった。
本を手元に引き寄せ、見るともなくページをめくりながら彩は取って付けたように

「神谷くんて好きな娘(こ)がいたんだ」
と笑いながら言った。驚いたような有羽の声が彼女の手を止めた。

「え?彩ちゃんって聖くんと付き合っているんじゃないの」

笑いながら否定をしたその笑顔がぎこちなかった気もするが有羽は気が付かなかったのか、それとも気付かない振りをしたのか安心した表情を浮かべた。

玖堂さんは神谷くんが好きで、聖は有羽に好意を抱いている。
その間に自分が入る隙間はどこにもない。そう痛感した海白彩はその時から後輩から相談事を受ける良き理解者である先輩という立場を貫いてきた。そしてこれからもそれは変わることが無いだろう。
二人が上手く行くよう橋渡しを成功させようと、自らの想いを封じ込め決意する。
怪しく思われない、ただの仲の良い友人に見せる程度の笑みを浮かべて
「取り敢えず自分の想いを伝えてみたら?今のままだと他の男性に取られちゃうかもしれないわよ。有羽はあんなにも魅力的なんだもの」
周りの男子達は気が付いていないみたいだけれどね、と笑う。

返事をしない聖を見ると何かを決意したような表情がそこにはあった。それに入り混じる有羽への愛情。
夕陽に照らし出される自分ではない女性に想いを寄せる男性の横顔に胸が痛んだ。だがそれをどうすることも出来ない彼女は彼から視線を外し、自分も赤い陽を眺めた。
沈みゆく太陽が二人を赤く染め上げる。
上手くいきますように。
思わずそんな願掛(がんか)けをしてしまう程に綺麗な夕焼けだった。
他愛の無い会話をしながら歩く男女の足取りは未来を映し出すように並行しながら帰路につく。
決して交わることの無い平行線。

END

平行線|桜左近

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