小説は文字での表現です。そして演技は自分の体を使って表現します。
演技では、同じセリフでも感情や感覚によって表現方法が真逆になることがあります。
それを小説では使う言葉によって変化をつけます。
今回は、例文をお見せして、その違いを楽しんでもらおうと企みました。
例文と解説
例えば『恐怖』。
この感覚をこれから3つの文章で表現します。
セリフは全く同じですが感情を表現する言葉を変えました。結果をそれぞれどう感じたか? 考えて下さい。
パターン①
銃を片手に男はゆっくりと歩いた。両手を後頭部で組まされ、床に突っ伏す人質の一人一人を品定めするように立ち止まっては歩き、立ち止まっては歩きを繰り返していた。
ふと、その中の一人の男性の頭に銃口が突きつけられた。
瞬間、身をすくませた男性は震える声で言う。
「ま、待ってくれ。俺には家族がいるんだ。子供もまだ小さい。頼む、殺さないでくれ」
懸命な命乞いだった。
『家族』という言葉を聞いて、ほんの少し銃を持つ手の力が緩んだようだった。
相変わらず銃口を向けたままだが、顔を歪ませ苦々しい表情を浮かべて男は答えた。
「それがどうした?」
パターン②
銃を片手に男はゆっくりと歩いた。両手を後頭部で組まされ、床に突っ伏す人質の一人一人を品定めするように立ち止まっては歩き、立ち止まっては歩きを繰り返していた。
ふと、その中の一人の男性の頭に銃口が突きつけられた。
瞬間、身をすくませた男性は震える声で言う。
「ま、待ってくれ。俺には家族がいるんだ。子供もまだ小さい。頼む、殺さないでくれ」
懸命な命乞いだった。
次の瞬間、銃口を向けた男は笑った。
不気味な程に男の笑い声は高く明るくよく響き渡り、その場にいる人間全てに混乱を与えた。命乞いが効いたのかとさえ思った。
だが、腹を抱え、涙までうっすらと浮かばせながら男は言う。
「それがどうした?」
パターン③
銃を片手に男はゆっくりと歩いた。両手を後頭部で組まされ、床に突っ伏す人質の一人一人を品定めするように立ち止まっては歩き、立ち止まっては歩きを繰り返していた。
ふと、その中の一人の男性の頭に銃口が突きつけられた。
瞬間、身をすくませた男性は震える声で言う。
「ま、待ってくれ。俺には家族がいるんだ。子供もまだ小さい。頼む、殺さないでくれ」
懸命な命乞いだった。
しかし、男性は男の声を聞いて戦慄が走る。
まるで、子供が初めて聞く言葉を大人に問いかけているようだった。
これからすることが自然であるように、男からは悪意も何も感じられない。
「それがどうした?」
さて、こちらの3つの文章、最後に殺されてしまいそうなのはどれが一番高いと思いましたか?
私の意識としては③を一番にして表現してみました。
『恐怖』というのは特にですが、「同じ気持ちではない」「わからない」という時に強く感じます。
解説
①では人質男性と銃を持つ男が似たような感情になったことで、助かる余地を表現しました。
②では、笑うという恐怖とは正反対の感情にすることで『ヤバさ』を出してみました。
人が死ぬって悲しいことなのに、笑うことで人が死ぬ=楽しいと思う人間なんだと、男を恐怖の対象にしました。
そして③です。
感情がないというのが、実は一番怖かったりします。
怒りでも楽しいでも、感情が見えればそこに訴えかけられることができるんですね。
だけど、それがないってことは、手の打ちようがないということになります。
だから怖い。
演技というエッセンスを加えるとは?
小説での表現方法、演技(体を使った)表現方法も、当然ですがかなり異なります。しかし、似ている部分もあります。それが『リズム=間』です。
小説では句読点などで、演技では音や動きの速さ(=間)でそれをつけます。
私の小説での表現方法というか文字への起こし方は、同じように文章を書くのが好きな物書きさん達とは異質です。
プロットの段階で、紙に手書きでする人、デジタルで文字を打つ人と大きく分かれると思いますが、私の場合、この両方をした挙げ句に音声に録ったりと体現化します。
まず動く。その動きを文字に変換させる。
セリフも言う。口から出たものをなるべくそのまま文字にしているんです。
やはり、実際の動きに近い方が読者さんにとっても読みやすかったり感情移入がしやすくなったりと、読書する時間が『いいもの』になります。
リアルに近づけた後、そこにまた演技というエッセンスを加えます。
人はやはりというか感情をもつ生き物なので、感情的な文章になれば当然心動かされます。
良くも悪くも、深く考えずともある程度の共感すら覚えます。
反対に、無機質な言葉を選ぶと、作者やストーリーの世界観をはっきりと区切ることができ、なおかつ読者も深く考察するので、読者自身の世界観もプラスされます。
頭の中で文章には見えない情景を創造することができるんですね。
私の作品でも、試しに書いてみました。
敢えて男性主人公を感情的に、女性主人公を無機質なロボットにしましたけど。
(※ちなみに、男女で言葉の使い分けもしているけれど、この話は別にしたいと思います)
違いを楽しむという意味で、ぜひご覧頂きたいと思います。
■僕の初めては113秒。(感情的)
■廃棄処分にして下さい。(無機質的)
実際に小説を書く時に使う演技力はズバリ!
小説に使う部分の演技というのは『役作り』です。
役作りとキャラ作りは少し違います。
名前・性別・顔や容姿、趣味や生い立ちなどを設定するのがキャラ作りですが、役作りとなると『感覚』までを設定します。
例文で言うと、①の銃を持つ男は『家族という言葉に痛みを感じた人』です。
②の男は『命乞いをする人を見て快感を抱く人』
③の場合だと『人を殺すことに何も感じない人(もしくはただの作業の一つだと感じている人)』となります。
これが役作りです。
どの種類の感覚をどんな時に、どの程度抱くのか? を設定することを言います。
もっとシンプルに言うと、
普段、デスクワークばかりでほとんど運動をしない人が、プールで25mをクロールで泳いだら、かなり息があがります。
ですが、毎日何kmと練習で泳いでいる水泳選手が25mを軽く泳いだところで、準備運動くらいにしか感じないでしょう。
その人の置かれている状況(環境)が違えば、抱く感覚も違います。人によっても変わるでしょう。
その、『人によって違う感覚』をめちゃくちゃ細かく考えると、キャラの人生に深みが増します。物語の世界観にもコクが出ます。
この違いを楽しめるようになると、書くのもまた楽しいですよね。
それには、何か特別な能力が必要なわけではありません。
いつもとちょっと違うことをしてみる、違う視点になってみる(立って見たものを寝て見てみるとか)、いつもと真逆なことを考えてみる、何も考えずに息をゆっくりと吸ってみる……などなど、例えは尽きませんが、一つでもいいので『非日常』をやってみてください。
至極簡単なことで、自分の中の引き出しを増やすだけです。それをどう組み合わせるか?という違いが、小説の世界観につながります。
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