突然だが、男女で体の作りが異なるように、愛し方も違う。
男女でアハハうふふキャッキャしている時も、男性は出す側であり、女性は受け取る側である。
もう既に体の作りからして、この男女の愛し方の違いは非常に理にかなっているのだ。
性質の違い=性差と個人差はまるで違う
男女の愛し方の違いを『タイムを競うスポーツ』に例えてみよう。
ここに陸上選手と水泳選手がいる。
陸上選手はどこで競技を行うのが一番だろうか?
そう、陸上だ。
では水泳選手にとってみればどうだろう?
もちろん、プールである。
水泳選手に陸上100mを10秒台で走れと言っても、そりゃあ無茶な話で。
水泳選手は水泳で勝負した方がいいに決まっているし、陸上では不利だ。
そもそもの活躍する場が違う。得意とすることが違う。
これが性質の違い=性差である。
ただ、この水泳選手が陸上でもすごいタイムを出せたとしよう。器用な人間はいる。
でもこれは個人差であり、やはり活躍する場所と言えば、水泳選手は水泳で勝負をするものである。
同じ陸上選手たちが100mのタイムを競い合った時、12秒台で走る人もいれば、10秒台で走る人もいる。これが、個人差なのだ。
男性の愛し方
男性の愛は、行動で示される。
- 働く、仕事をする
- 家族を養う
- 自分のもっている知恵や技を人に教える
- ご飯をおごる
- サプライズをする
などなど、挙げていけばきりがない。
でも、一様に言えることは『自分の時間=命を使って、人を助けたり喜ばせたりする』のが、男性の愛である。
自らを犠牲にしてでも大切にしているものを守ったり、社会貢献しようとする。女性だけに向けられるものではなく、同性にも子供にも、それは多岐に向けられる。
死ぬことで示すこともある。
女性とは全く逆なのだ。
最もシンプルな言葉で表すと、
『使命を果たす』ことが男性の愛である。
だから男性には形や種類が違えど、必ず正義を持っている。
この正義を貫くことが使命を果たすことでもあり、私はそんな男性の愛をクソカッコいいと思うほかない。