つまり一言で例えるなら『完璧主義ではなくなった』ということです。
とはいえ、完璧には出来ないことがわかっただけで、自分に出来る最大限のことはします。
子供にとって親って絶対の存在です。親代わりの大人がいないと生きていけません。
だから体が大きくなっても年をとっても自分が親になっても、親って大事にしなきゃいけない!という思考が働く。
親=尊敬しなければいけない人⇒自分も人から敬られるようにならなきゃいけない
みたいな。
私は母子家庭で育ったので、母ちゃんスゲーなって思ってました。助けられるようにならなきゃな、と。
でもですね、高校生の頃、母ちゃんの『おイタ』のおかげで、親=絶対神という価値観が見事にぶっ壊れました。
当時はめちゃくちゃツラかったですけど(死のうと思ったくらいだし)、今ではあってよかった試練だったな、と思ってます。
ま、俗にいう不倫です。
あれって、当事者達はいいんですよ。周りから非難されても二人で盛り上がってるんで。こちとら常温ですから。
最悪な立場が私(と妹)。
世間の多くは相手女性の娘というので、同情+母親と同じことする女という目で見てきます。そんな一括りで見られても困ります。
「皆」という言葉で一括りにしようとするのは、案外、視野が狭いってことを表しているのかもしれません。
と、皮肉はさておき。
そんなことがあって、私から「親は立派な存在である」という価値観が壊れました。
あんなにスゲーと思っていた母ですら人から非難されるようなことするんだ。あれ? 親だって「ただの人」じゃね? じゃあ、私だって立派である必要なんかないよね。あははー、何だ、めっちゃ楽じゃん。
ってな感じです。
そもそも、子供って親とは違って生まれてくるようになってるじゃないですか。似ているのは顔くらいなもんです。
だって、環境に適するように生まれてこないと人類存続できないし。性格なんて違ってて当たり前。似ているのはお手本が親だから似ちゃうだけです。
だから、親が超立派な人であっても、自分もそうある必要はないし、逆にダメダメな人であっても、自分にだったら出来ることがあるってことです。
またそもそも論をしちゃいますけど、人間て完璧な存在じゃないんですよね。
何でも一人で出来る完璧な存在であれば、それはもう人間ではないです。というか人の姿をしていないと思います。
個体で分裂して生き延びますよ。完璧だから。
映画『A.I.』の終盤に出てくる宇宙人みたいなイメージです。
あの物体、『にょいーん』て分裂して増えそうじゃないですか?
頭っぽいのと手足っぽいのと胴体っぽいので出来てますが、顔もなけりゃ男女もない。何食べて生きてるのかわからない半透明な体をしてます。
あれもう人間じゃないですよね(笑)
なので完璧主義が苦しいなと思っている人へ。
あなたが目指すところが宇宙人でないのなら、完璧である必要はありません。
完璧であろうとすればするほど、困る人も出てきます。
まずは、何で完璧にしないといけないと思っているかを探してみましょう。
面白そうですね。
私なんて苦しいの嫌だから完璧なことしません(笑)
旦那がいたって、社会と結婚したいと思ってるし、ゲーム大好きだし、今ハマっているカブトムシやクワガタの幼虫ちゃんがモリモリご飯を食べている姿を見て「かわいい」と思うような変わった人です。
もし、完璧な淑女たるものになろうとしたら、今あげたこと全部出来なくなります。うわ、つまんねー。
だから、苦しいのならやめましょって話で。
私が楽しそうに見えるのなら、あなたもそうしたいってことです。