ひとり生き残った子供の機械が死んだ村人たちの身体を借りて、「明日したかったこと」を代わりに行うことで、ひとりひとりを弔い、きちんとおわかれをしていきます。
こちらが今から紹介するゲームのあらすじです。
これだけでもう何か言葉にできないものが胸の中にありました。
一時間プレイした感想を一言で表すなら。
この子がいてくれて救われた
です。
ひとりひとりのドラマが結構しんどい。
そう。しんどい。
なんというか、行動や言葉の一つ一つを単体で見たら、そんなに深い意味はないんですよ。
傷つくようなことでもない、かな。
でも、それにその人達の感情がのっかると「うわ~!」ってなります。
しんどいんです。
でも、泣くことで自分が清められていくような気がします。
「明日生きることって奇跡なんだな」って。
中でも、ママにとっては涙なしではいられないストーリーを動画にしました。
この村人(ハァヌゥさん)は、ある人からお花の話を聞き、それ以来ずっとお花を咲かせたいと思っていました。
毎日毎日、植物のことを調べたり、育ててみたりしました。
でもキレイな空気も、水も、土も太陽の光もありません。
なので、花が咲く装置を作りました。
装置は出来上がり、あとは種と水を用意すればOKというところで、おそらくハァヌゥさんは死んでしまいます。
お花を咲かせ、そして子供の機械と一緒に見ることが、ハァヌゥさんへの弔いです。
動画は、お花が咲いてからのストーリーです。
ここでハァヌゥさんの理由がわかります。
超しんどいです。
でも、美しいです。
本当に、誰かを愛し慈しむという心は美しい。
もう一人もお話しさせてください!
ホボラルさんは、遺体を「おわかれの場所」まで運ぶ人です。
遺体は重いので、運び終わった後はいつも運ぶ道具はどこかが壊れてしまいます。
ホボラルさんは、ある日夢を見ました。
自分が死んでしまう夢です。
家族も親しい人もいないので、ホボラルさんが死んだことに誰も気づきません。
いくつもの朝と夜を迎えて、ホボラルさんに用があった人が来ました。
そして、ホボラルさんが死んでいたことを知り、村の人たちがホボラルさんの元で会議をします。
「誰が運ぶんだ」
「そもそも運ぶ価値があるのか」
その場は一度解散となりました。
そして、二度とホボラルさんの元には誰も来ませんでした。
目が覚めると、ホボラルさんは運ぶ人がいれば駆けつけるようになりました。
すぐに運べるように、道具の修理もします。
ホボラルさんは夢を見て思ったのです。
誰にもそんな思いをさせたくない。
そんなホボラルさんへの弔いは『遺体を運ぶ道具を直すこと』
小5と小2の息子たちもボロ泣きでした
このホボラルさんのストーリーを見た後、ボロ泣きしてました。
私は「そもそも運ぶ価値があるのか」に恐怖を覚えましたし、そんなことを言われても『誰かに同じ思いをさせたくない』と思うホボラルさんに泣いたのですが、子供たちは純粋に
「ホボラルさんが死んで悲しい」
と泣いたそうです。
そうですよね。
まずそこですよね。
いやー、子供たちに教わった気がしました。
そうだよ。死んだことがまず悲しいよ。
最後に
こちらの作品は480円と有料です。
有料ですが、とてもいい作品です。
買ってよかったと思う心底思う。
本当によかった。