私がこのスティーブ・ジョブズの言葉を知ったのは、2018年12月という最近の話だ。(執筆時は2019年2月)
ジョブズさんはビジネスの話として残していた言葉だが、私には別のところで重く響いた。
私は生まれた頃から母子家庭である。
父と母は結婚し、二人が望んで私が生まれたわけだが、父と暮らすことはなかった。
父に対して恨みはない分、感情もない。何とも思わない。会いたいとも寂しいとも思ったことがない。
いないのが私にとっての当たり前だったからである。
母と二人、時に祖父母の家で数年間を暮らすことはあったけど、基本的に二人だけの生活だった。
それが一変したのが、私が高校一年生の終わりの冬だった。
義父の登場である。
目次
不倫は当事者だけの問題ではない
不倫をした側の男の家族は、同情が向けられる。
そして、女の家族には白い目とバッシングが向けられるのだ。
何の関係のない私には、白い目が向けられた。
何もしていないのに、娘も母親と同じになると決めつけられる。
生まれてくる子供に対しても「おめでとう」と心からは言ってもらえない。
毎日笑い声が飛び交っていたのに、毎日怒鳴り合いか罵り合いの言葉が飛び交った。
笑顔は消える。
常に体のどこかが痛くなる。
それほどの被害が及ぶのである。
そんな日常であったために、母はこの頃から精神を病み始めた。
一度しっかりと見てみるといい。人をいじめたりバカにする人間の顔を
心が壊れた母は、自己破壊行動ばかりしていた。
包丁やフォークなどで体を傷つける、熱湯をかけようとする、大量にストックしていた薬を一度に飲み胃洗浄を行ったこともあった。
地獄だった。
義父と取っ組み合いすることもあり、顔に大きな痣を作ることもあったし、鼻を蹴り折られたこともあった。
仲裁に入ると、体の小さい私は吹き飛ばされる。
だからケンカが始まると、私は妹を連れて避難した。
職場に働きに出られなくなった母は、家でそんなことばかりしていた。昼間、義父がいない時は落ち着いている。だが、帰ってくるとそんな日常が始まるのだ。
ある日、暴れまくった母は、その痛みからか脱力してしまったからか、その場で漏らしてしまったことがある。
魂の抜けきっている母の傍らで、私は泣きながらその処理をする。後片付けしかできない自分が悔しかった。
しかし、そんな私の背後で笑い声がした。
「漏らしてやんの。汚ねー」
頭がおかしいと思った。
そいつの顔を見て、もはや人間ではないと悟った。
この世に生まれてこなければよかった人なんていない。けれど……
私には不思議でたまらなかった。
なぜ、自分に酷いことをする奴の側にいるのだろう? と。
なぜ、二人の生活ではダメだったのだろうか? と。
何がよくて一緒にいるのかが、本当に理解できなかった。
よく、この世には生まれてはいけない人間なんていないと言われるが、いなくなって欲しいと思う人間はいる。
少なくとも私にはいた。何人かいた。
早く死んでくれ、早く死んでくれ。
そんなことを思った。
そんなことを願う自分も、嫌だった。けれど、願わずにはいられなかった。
完全に私の頭もおかしかった。
だから、死のうとしたこともあったのだ。
ベストを尽くして失敗したら? ベストを尽くしたってことさ
結局、私は今まで愛情をかけてくれた人たちのおかげで生き延びることができ、考えることもできた。
今回、その詳しい話はしないが、全力で母と向き合った。
自分がおかしいと思ったことは、親の言ったことでも「それはおかしい」とはっきり伝えたし、憎まれても何でもいいからとにかく元凶である義父と離れさせようと動いた。
最終的には、義父と暮らすために買った新築の家も売り払い、妹と母の3人で暮らすところにまでいけたが、すんなりといけたわけではない。
当然、母は暴れる。
刃物を手に「死んでやる」と脅しをかける母に、私は言った。
「死にたいなら死ねばいい。止めないよ」
この時にはジョブズさんの言葉を知らなかったが、私が共感したのはここだった。
私は全力を尽くした。
自分がいいと思うことをし、母と向き合ってきた。
それでもダメなら仕方がないと。やるだけのことはやった。
だから続けてこうも言った。
「でも、死にたくないなら、今すぐそれを捨てて。助けてあげる」
母は泣きながら「死にたくない」と言って、刃物を捨てた。
冷静になれば見えてくる
もし、万が一、この時母が「死」を選択したとしても、私は本当に止めなかっただろう。
でも私は知っていたのだ。
母が「死を選ぶことはない」と。
なぜか。
冷静に考えることが出来た私は、今までの母の行動が義父に対するアピールだと知っていたからだ。
とにかく、怒られても何でもいいから自分を見て欲しかったのだろう。
子供が親にすることと同じなのだ。
母は、子供になっていたのだ。
ずっと、自分が親として頑張ってきた反面、ずっと誰かに甘えたかったのだろう。
ただ、甘える相手を間違えていただけだ。
義父は人間ではない。
というか、義父も母に甘えたかったのだろう。
お互いが赤ちゃんになって、「ママー、ママー」と甘えているのだから満足するわけがない。成長するわけがない。共倒れするだけだった。
ここまでは義父を理解し、早く死んでくれとは思わなくなったが、二度と関わらないで欲しいのは変わらずである。
そして現在
義父と別れてからというもの、母に心に溜まっているものを全て吐き出させることをした。
40代半ばになって、ようやく自分のお父さんお母さんに本音を伝えられた。
そうして、薬を飲まずにまで回復した母。
しかし、『養育費』というつながりが、またも母を狂わせた。
義父とのつながりを銀行口座を通してもってしまった。
少し話はズレるが、自分にとって悪影響をもたらす相手とは完全に関係を断ち切らないといけない。
養育費も受け取ってはいけないのだ。
(養育費は子供の権利であり、たとえ親(親権者)であってもその権利を奪ってはならないと知ってはいるが、私は受け取ることでつながりを持ちたくはないというのが本音である)
半分目が覚めた母は、されたことに対し恨みをもち、何とかしてやりこめようと躍起になった。
そうして、薬を飲み始め、ほぼ寝たきりの生活となった。
2019年現在、母は歩けなくなってしまった。