コミュニティに入って一ヶ月の新人さんでもちょっとした有名人になるコツ

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目次
1日目:私が愛してやまないこと
2日目:私が嫌いなもの・こと
3日目:贅沢だな~と思うこと
4日目:子供の頃に「したかったこと」「して嬉しかったこと」「続けていたこと」
5日目:子供の頃「あ~、これしてもらいたかったな」と思うこと
6日目:同性のいいところを褒めまくる
7日目:こうなりたいと想う理想の未来
8日目:あなたの大切な人にどうなってもらいたいか?
9日目:他のイベント参加者さん(イベント参加者さんでない人はスゲーなって思う人)を3人褒めよう
10日目:今までの投稿やコメントから見える、あなたの『キーワード』

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5日目:子供の頃「あ~、これしてもらいたかったな」と思うこと

橘右近

それは、
「病気になった時、母に側にいてもらいたかったこと」
です。

何だか儚げな少女のようですが(笑)、そんな感じではありません。
母子家庭だったので、母は昼間働いています。
そして、母の実家(じいちゃん家)が近かったため、私が風邪をひいてもじいちゃんの家で寝てました。
じいちゃんも働いていたので、実際はばあちゃんと二人きりです。

でも、弱っているので、やっぱり「お母さん」がいいんですよね。

当時、そんなに強く思っていなかったはずなのに、いざ自分に子供ができて、同じような状況に子供がなった時に、すんごい後悔が押し寄せてきました。
私が(外での)仕事から帰ってきた時、旦那の実家に預けていた病気の子供たちが、泣きながら抱きついてきた時、「あの時の私だ!」と思ったんです。
そして、同じように寂しい思いをさせてしまったなと、めちゃくちゃ後悔しました。
まあ、子供たちにとっても、寂しいって何か?を知るいい機会にはなったんですけど、何度もはいらないかな?と。
それから私は、家で働ける方法を探すようになりました。

似たような体験をすると思い出すくらいの「して欲しかったこと」ですが、今の人生変わるくらい衝撃だったので、小さい頃の記憶(欲求)を知るって大事。

他の参加者さんたちの回答

■セロリマン

うーーーん。

「妹か弟を作って欲しかった」

これですね!

セロリマンは姉がいるので、小さいころはいつも世話をされる側だったように覚えてます。
セロリマンは面倒見が言い訳ではないんですけど、弟や妹がいたら、どんな毎日になってたのかな~ってふと考える時があります。きっと違った世界があったんやろな~って思っちゃいます。
あ、決して、姉に不満があったわけではないので、誤解しないでくださいね^^姉は未だに家族ぐるみで仲良くさせてもらってますよ♪

もし下に弟や、妹がいたら、
「弟を引きずり回して、悪さしたり。」
「妹に懐かれて、デレデレしたり。」
一度は経験してみたかったですね^^

■梅ちゃん

・「水分補給!」(水飲んでいいぞー!)です。

ちょっと昔は水を飲んではいけない風潮があって、運動に励んでいた頃はあまりの厳しい風潮のために倒れる生徒も多かったです。
クラクラになるたびに何度 水溜まりの水を飲もうと思ったことかと感じています。
今はパワハラやセクハラがメディアで多く取り上げられ少しは進化したのだなぁと思います。
ただその反面、冗談が言えなくなってきてしまいそう…「綺麗だね、魅力的だね」などと言われればねじ曲げられて、セクハラととられ言う方も注意しなきゃになりますよね。ユーモアすらも言えない、聞けない、褒められることも少なくなりそうです。
そんな時代になってきてしまうのだろうか…と。美人な人は覚悟しておかないと。わたしは大丈夫ですけど。そういうことをどうバランスを取ってゆくかが課題なのかもしれないと思っています。
あれ?趣旨から外れてしまいました。以上です!

ありがとうございございます。

■Hitomiさん

うーん、このお題は答えが一つしかありません。結局ここがすべての始まりだって気が付いたので、それを気が付かせてくれた「発達課題」についてもっとしろうと思って、それをいつか何かの形で発信しようと思っていました。ブログを知ってそこで書いていきたいと思ったことは確かです(^^♪
「あーしてもらいたかったなー」ってことは。

・母親に私をかわいがってほしかった、認めてほしかったです。

うーん、暗くなりますが(笑)書きますね。
私が5歳の時父と母が再婚しました。私は父の子供、すぐに妹が生まれたのですが、
母にとったら初めての子どもです、妹は可愛かったでしょうが、だいぶ比べられ、口癖が「ちゃんとしないと人にいわれるでしょ」でした。なので、何をやってもほめられることはなかったです。私のやることそのままは認めてもらえませんでした。
やだー、しんみりしちゃーう

■KAZUEさん

これをしてもらいたかったというよりは、もっとしてもらいたかったこと
ちょっと笑われるかもしれませんが💦

『もっと母に髪の毛洗って欲しかった』

自分で髪の毛が洗えるようになって、母に褒められて嬉しかった。
ある日、母とお友達のお母さんとの会話で「KAZUEはもう一人で髪の毛を洗っているよ」と話していた。

お友達のお母さんは、「すごーい、偉いねー」って聞いた私は、
『もう、お母さんに髪の毛を洗ってもらえないんだ〜』
『もう少しだけ、髪の毛を洗ってもらいたかった』

その時に寂しい気持ちだったことが今でも覚えています。

■夢北さん

自分が小学1年の時、親同伴の課外授業があったのですが、丁度2番目の妹が生まれたばかりで、母親は参加できず。
でも周りは参加しているのを見て、寂しかった思いがあります。今はその状況を十分理解出来ますけど。

■吉田あみさん

・もっと甘えさせてほしかった

・もっと一緒にいてほしかった

これは、母への気持ちです。

小さい頃から父はほとんど帰ってこず、
小1で正式に別居、小4で母子家庭になりました。
小1から祖父母と同居が始まったんですが、途中数年間、母はひとり暮らしをしていました。

甘えるなと言われたわけではなかったけど、環境的に、甘えたらあかん!しっかりしないと!さみしいとか言ったらあかん!
と無意識に思い込んでました。

それが普通だったので疑問にも思わなかったけど、結婚して子どもが生まれて少しした頃。
母にちょっとした頼みごともできないわたしを見て夫が、「もっと甘えていいんちゃうの??」と言ってくれていろんな話をしてくれたとき、(はしょったw)
あー、そうか!わたし母親に甘えるのめちゃくちゃ下手なんや!!と気づきました。

もうちょっと、素直に甘えるっていうことを経験したかったなぁ。
もうちょっと、一緒にいてほしかったなぁ。

と、今になって思います。

母が愛情を注いでくれてたのはわかるし、
仕方なかったってこともわかるし、
そういう環境だったからこそ得たものもあるとは思ってるんですが。

いまはわりと素直に母に頼みごとができるようになりました!夫のおかげ!

■Takashiさん

「父親と遊びたかった!」というのが一番に浮かびました。

深夜勤務なので、ほとんど一緒に遊んだ記憶がありません。あ、何回かオセロした記憶はあるか・・・。・・・ってレベルなので、これはすごい思います。
代わりに10歳上の兄によく、いじめら・・・もとい、遊んでもらったので、それはそれで良い思い出です。
特に、僕のお腹にジャンプを何冊か入れて、バスタオルでグルグルに巻いたパンチで壁まで宙に浮いて吹っ飛んだのは忘れられませんww

自分の息子が生まれた今は、出来るだけ時間をとって遊びに連れていったりしてます。最近のマイブームは、最寄りのSAに車で行って意味もなく車中泊することです。昨日も行ってきました

■佐伯和起さん

うーん。。。
強いて言えば、PTAの保護者同士でもっと親密になってほしかった…かなぁ。

すいません、このお題はこれっていうこたえがでないですね。
別にお金持ちだったわけではないですが、
当時はまぁ不満があったような気もしますが、
振り返ってみても
なんか泣いたりした記憶はあるけどなんで泣いたんか
全く憶えておりません(笑)

昨晩お題を見て1日考えて、ようやく絞り出したのが
上記のものです。

親同士が仲良くて誰々のお家で飲み会した
なんてクラスの子が話してるのを聞いて
いいなぁと思った。

私の父の転勤で小学校に上がるタイミングで
引っ越しをしたんですが、
両親とも積極的に友人を作るタイプではなかったし
方言の壁もあって交友範囲は狭かったようです。

なのでイベントごとも必要最低限しか関わらなかったので
子供心に、もっと遊べばいいのになんて考えてました。

とは言っても大きなイベントはちゃんと出てたし、
わたし自身は近所の友達と毎日遊んでたんで、
たいした不満ではなかったです。

というか完全に妄想族で暴走して泣いての繰り返し
で忙しかったんで、気になんてしてなかったですね(笑)

そいで高校入学のタイミングで東京にまた引っ越したんで
幼馴染とかいうのには憧れてたかもしれない。妄想的に。

不満らしい不満がこの程度なので、
総じて、私は恵まれていたと言わざるを得ません。

■エイジさん

「子供の時、期待しないでもらいたかった」かなー!

家族や周りの期待に応えなければ!!
とすごく考えてしまう性格だったので、周りの望んでいることになんとか合わせようとしてしまっている自分がいました。無意識にかなりストレスをかけてたみたい。
結果、「僕はこうなりたいんです!」なんて言ってたけど、自分が本当にやりたいことが分からなくなっちゃった(当時は)

その頃の経験があるから、今の僕があるんだと思いますけどね😁

■MaCHA(まちゃ)さん

(1)色々買ってほしかった

うちはあまりお金に余裕のない家庭でした。
しかも私は末っ子なので、与えられる物は何でもおさがり。
服はもちろん、学習机も、けんばんハーモニカや、リコーダーさえもおさがり(笑)。
新しい物を買ってもらった記憶がほとんどありません。私の手元に来た時点で、すでに傷だらけw
なんで姉ばかり常に新しい物を買ってもらって、私はそのおさがりなんだろうと、子供ながらにかなり不満でした(笑)。
今思うと、その反動で私は買い物が好きなのかもしれません。

(2)習い事やお金のかかることでも、楽しそうなことや自分の身に付くことをさせて欲しかった。

これもお金がないことと関係してますが、習い事もしたことがありません。
でもテレビなどで活躍してる人を見ると、小さい頃からそれを習っていることが多く、「いいな~、そういう家庭に育って・・」と羨ましくなったりします。
大人になってからも、同年代の知人が子供に習い事をさせてたりすると、「なんでうちの親はやらせてくれなかったんだろう」と思ったりしました。
なので、社会人になってからも、かなり長い間、お金持ちの家の子に対して「いいな~」と思ってましたw

でもブロガーになってから「ブログで成功するかどうかは、実家は関係ない。自分次第で、いくらでも出来る!」と思えるようになり、ようやくお金の呪縛から解き放たれました(笑)

■サコさん

・自分は幼少期から人と話をすることが苦手で、暗いイメージがあったため学校やサッカーのクラブの中で浮いてしまったりしていたのですが、母親にはやはり気が付いて心配して欲しかったですね。
20歳を越えてから打ち明けた時に、そんなこと言わないとわかんないよ^_^ と言われたことはなかなかきつかったです。

・自分の好きな料理を作ってもらうこと!
やはり、自分の好きな食べ物を作ってくれることは嬉しかったですね!からあげ、フライドポテト、チキチキボーンのフライが出てくるとテンション上がりました!

・大きい声で怒らないこと。自分が怒られる時に限らず、夫婦喧嘩でも大きい声で怒っているのを聞くのはかなりのストレスでした。

・ただ単にゲーム禁止にするんじゃなくて、なんか別の楽しい事を提案してほしかった。

■さくみさん

●私は自分の部屋を作ってもらいたかったです!
自分の部屋を持った事がないので、家の中に自分だけの空間があるのが、とても羨ましかったです。

●もう一人子作りをしてほしかったですwww
姉が1人いますが、弟か妹が欲しかった…。残念😌

■ワニ先生

あまり思い当たるものがないかもしれません。

強いて言えば
・怒鳴るように怒らないようにしてほしかった
(怒られるのが相当嫌いだということが、このワークで再確認できました。笑)

母は当時、話が通じないヒステリック系でした。
帰りが遅い父はいないような中、男2人を育てたので、今考えるとそうなるよな、と思いながら強いて言えば、の1つです。

■ゆーいちさん

・もっと自分を知ってほしかった

→僕の親がいろいろ結果だけをみる人で。。。
学校だったらテストの点数、運動だったら競技成績。
しかもどんだけいい結果を出してもあんまり誉めてくれず。
結果ももちろん大事ですが、過程も見てほしかったかなと。

だからこそ目立つマジックという趣味に走ったのかなー。と思ってますw

 

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ばなやんヒューマンディレクター / 声優小説家
「自分らしく楽しみながら日々を生きる」をテーマに文章を書いてます。笑顔があふれる世界にしたい。そんな想いをもつ人のちょっとしたきっかけになるといいな(灬╹ω╹灬)モキュ #40代シングルマザー #ゲームも大好き