もうね、ぷんぷんしてるところがあるんですよ。日本の教育について。
先生とかが嫌とかじゃなく、そもそも義務教育って言葉がまず気に入らない。
「義務教育」と10回聞くと、不満が爆発して夜も眠れなくなってしまうくらい。
何で、そんなに怒ってるのかっていうと、私が小学校4、5年生くらいの時、図工の先生に私の絵の感性を否定されて、心がズタズタにされてしまったから。
そういう経験を、今の子供達に味あわせたくないでしょ。
さて、先生に絵のセンスを否定されるまでは、私は絵が得意で自信があったの。
例えば、図工の時間に、生き物を描く授業があって、私は理科の教科書に載っているアゲハ蝶の写真を見本にして、構図から何からそのまんまを見て描きました。
その出来栄えがですね、我ながらよく描けたな~と自画自賛するもので、周りの子からも「本物みたい」って褒められたんですね。
でですね、なんとそのアゲハ蝶が図工の先生にも「将来有望だ!」っていうくらい絶賛され、区のコンクールに出展し賞をもらったんです。
ここまでは武勇伝。
そして、ここからが問題。
コンクールを開催している施設にそのアゲハ蝶を飾るんだけど、もう一つ何か自由に考えた絵を描いてこいって言われたんです。
それで私は、自分のアイデアを周りに見せる事に勇気をだして、「フルーツの公園」というタイトルの絵を描きました。
その絵は、フルーツの遊具がたくさんある公園のような、遊園地のような絵で、もちろんそれで遊んでいる子供達は皆笑ってます。
この絵を書く時、私はアイデアの方ばかりに気をとられていていました。
だから、賞を取った「アゲハ蝶」の絵と比べると、絵の技術のレベルが低くなってしまい、小学1~2年生が描いたような絵になっていたんです。
でも、私は、フルーツの遊具──バナナのブランコ・ブドウのトランポリン・チェリーのすべり台を思いついたことを褒めて貰えると思ってた。
それなのに、そのフルーツの公園の絵を見た先生は、驚いてこう言いました。
「どうしたの?これ。本当にあなたが描いたの?ずいぶんとアレ(ヘタ)ねえ・・・」
私は、この言葉を聞いた時、自分の一生懸命考えたアイデアは面白くないのかって、かなりショックだったんです。
そして同時に、「ああ先生は、アイデアなんてどうでもよくて、技術的にうまい絵が欲しかったんだな」とも思いました。
きっと、先生は自分の教えてる生徒が賞をとった!すごいことだ!って、自慢したかったのかな?わからんけど。
確かに、私がアイデアを出す事に力を入れていた事をしらない人が見れば、フルーツの公園の技術はアゲハ蝶と比べたら劣る。
だけど、図工は芸術でしょ?
技術なんて経験を積めば、誰でもそれなりに出来るようになる。けど、感性はその人にしかないモノ
私は子供ながらにも、芸術こそ個性が大事だと思ってたから、図工の先生が技術のみを求めてたことにガッカリしました。
もし、ここでアイディアを褒めてもらっていたら、考えることは楽しい!って思える人になって、創作面ですごい活躍ができたかもしれない。
活躍できないにしても、
「自分のアイディアはダメなんだ。面白くないんだ」と思うことはなかったはず。
義務教育って、こんな感じで、人生で一番大切かもしれない人間の個性を伸ばそうって姿勢が無くて、大人になったら使わない技術の習得ばかりに力を入れてる感じ。
うまく言えないけど、そういうことなんだよね。
日本の義務教育は作業員養成所
こういう日本の義務教育って、私の小学生時代からほぼ変わってなくて、
このルールを知っておけば、日本で生きていくために躓きにくいし楽だよ。とか、
皆同じことをしていれば無難な人生送れるから、個性など必要ないよ。とか、
皆が同じような思考をしていれば、問題は起きないじゃないか!日本のためにもそうしておくれ。
という、作業員養成所っていう気がする。
そして、学校の先生がつける『成績表』は、いかに周りの皆と一緒になれるかの基準って感じ。
そんな基準を根拠に、成績の悪いからって、親や先生に怒られるのって、その子の身になっていますかね?
なってないですよね。
私は成績が悪いっていうのは、怒っても仕方ないって思う。
だって、やりたくないってことは、熱中できない嫌なことだし、その人の個性に合わないことかもしれない。
それを義務教育だからといって、「ただ、やってるだけ」で、何か意味ある?
しかも、漢字や足し算引き算ならまだしも、『絵』とかみたいに、出来なくても生きていけることに対しても。
皆がやるから、やってるだけです。
皆が同じことをやるから、やってるだけです。
皆が同じ作業をやるから、やってるだけです。
そんな日本の教育って、まさしく個性を殺す、作業員育成所だよね。
そういう嫌いな事を強制的にやらす教育はやめて、もっと、できるところを思いっきり褒めれば良くない?
私の「フルーツの公園」の絵だって、最初に先生がアイデアを十分に褒めてくれていて、
その上で「アゲハ蝶の絵のように、もっとフルーツを本物みたいに書いてみら、もっと凄い絵になるんじゃない?」と先生に言われていたら、私が自分の個性に自信を無くすことは無かったかもしれない。
そうやって自信を無くさなければ、絵の技術を、もっと学びたいって意欲が勝手に湧いてきたかもしれない。
もう、作業員養成所みたいな教育はやめて、もっと褒めて、個性を伸ばす教育にしないと、本当に日本はダメだと思う。
近い将来、個性のない人はロボットに取って代わられる
さて、何で今回、私の義務教育に対する怒りを書いたかというと、友達のTurkeyさんの記事を読んだから。
⇒AI(人工知能)に負けない次世代教育方法は?これからの子育ての仕方。
私もね、AI化が進み人がやる仕事って激減すると思うんですよ。
スーパーやコンビニも危ういですよね。どんどん自動化してきて。
機械が会計を自動的にやった方がミスも少ないだろうし。
Turkeyさんの記事から引用しますが、
そんな時代(※人間のやる事が人工知能に取って代わられる時代)を生きていかなければいけない私たちの子供の世代は、何が大切になってくるんでしょうか?
そう、
オリジナリティ
です。
引用元:共依存専門シングルマザーカウンセラーTurkey「AI(人工知能)に負けない次世代教育方法は?これからの子育ての仕方。」
私も、本当に、これからの時代を生きるためには、オリジナリティ、つまり個性が大切だと思う。
人間には感情があるけど、ロボットにはない。
つまり、ロボットには個性がない。だって、「感情=個性」だから。
一人一人、感じていること・考えていること・好きなこと嫌いなこと、そのこだわりは皆違う。
クラスにいる算数が得意で体育が苦手な子。
自分の気持ちを文章化するのは苦手だけど、色で表現するのは得意な子。
皆違って当たり前。
それが人間だもん。
それなのに、いまだに人間の違いを無くす事に力を入れている、作業員養成所ような日本の義務教育が、凄い心配になりました。
これからは時代が変わるんだから、義務教育のうちから、個性を尊重する教育にしなきゃダメだと思う。
もちろん、義務教育だけに頼るんじゃなく、周りの大人たちも、子供達の個性を否定したりする事を言わないとか、しっかりとしていかないとダメだよね。
ほんじゃ、読んでくれて戦キューヾ(*´▽`*)マタネー♪
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