個性がなくなったら「あなた誰?」ってなっちゃうことを、日本の教育はもう少し考えた方がいい

[su_box title=”こんな人にオススメ!” box_color=”#b0ca71″ title_color=”#554738″ radius=”0″] [su_service title=”日本の教育に疑問を持っている人” icon=”icon: check-square-o” icon_color=”#ffa72b” size=”22″][/su_service] [su_service title=”個性が大切って言っておきながら個性尊重されてないよね?ってちょっと怒っている人” icon=”icon: check-square-o” icon_color=”#ffa72b” size=”22″][/su_service] [su_service title=”そもそも個性ってなんぞや?と思ってる人” icon=”icon: check-square-o” icon_color=”#ffa72b” size=”22″][/su_service] [/su_box]

と、オススメの人を書いておきながら、今日はブログという媒体を使って、ママ友?パパ友?の友達と語ります。

昨日、友達のTurkeyさんの記事

AI(人工知能)に負けない次世代教育方法は?これからの子育ての仕方。

を読んで、「個性」「子育て」から日頃疑問に感じている日本の教育について、ちと怒りのようなものが沸いてきたので吐き出します。

 

もうね、ぷんぷんしてるところがあるんですよ。

先生とか個人的なというよりも、日本の教育について。

 

義務教育って言葉がまず気に入らない。

 

え?そこ?

と思うだろうけど、義務ってさ、親が子供を学校に通わせる義務があるってことでしょ?

何で親視点なわけ?

子供は、教育を受ける権利がある。

つまり、本来、生きる上で大切なこと──この方法を知っておけば生きるのが楽しいよってことを教えてもらえるんだよ。めちゃ嬉しくない?

ってことのはず。

 

だけど、私の小学生時代からほぼ変わってないけど、日本の教育って

このルールを知っておけば、日本で生きていくために躓きにくいし楽だよ。

皆同じことをしていれば無難な人生送れるからね。

皆が同じような思考をしていれば、問題は起きないじゃないか!日本のためにもそうしておくれ。

という、作業員育成所のように感じるの。

 

ちょっとトゲがあるから言い直すと

皆と同じことを、皆と同じようにこなして、無難な人生を歩みましょう。

それには、個性など必要ないよ。

この『成績表』は、いかに周りの皆と一緒になれるかの基準ですよ。

って感じ。全然トゲが抜かれてません?w

 

では、私がなんでこんなに刺々しいのかを、体験談を元にお話ししよう。そうしよう。

 

私は「体育の成績がいつも2」だから「体育の授業」が大嫌いだった。でも、運動するのは好きだった。

考えてみて?身長143cmの私(当時中学1年)と身長160cmの女子と、同じ距離を走るのに歩数も同じだと思う?

単純に考えてですよ?

単純に考えて、足の長さが違うとしたら、歩幅だって変わるんです。

ですよね。

 

歩幅が5cm違えば、

160cmのAちゃんは10歩で辿り着ける距離を、

143cmの私は11歩歩かないといけないってことです。

 

なので、50m走にもなれば

もっともっともっと足数を多くしないといけないわけです。

 

それなのに。

143cmの私が50m9.6秒だとしても

160cmのAちゃんが9.1秒出せば、皆がスゴイ!って言うのはAちゃんです。

体育の成績も、タイムが速い人の方が良くなります。

くそぅ。

 

他の球技だって身長が低いことがハンデとなる。

水泳だってそう。息つぎの回数だって多くなる。たくさん水をかかなきゃいけない。

 

だから体育の授業嫌いなんだよ。

どう頑張っても、背の高さで圧倒的に差があれば超えることは出来ないから。

 

鉄棒・ドッジボール・木登り・アスレチックは大得意

あ、あと、ハードル走なら得意だった。

ただ走るだけじゃないやつ。

ジャンプするの得意。っていうかぴょんぴょん飛ぶのが楽。

なぜって身が軽いから

 

だから、鉄棒やドッジ・木登りなどの、筋肉の重さがちょっと邪魔になる種目は大の得意でした。(ドッジは当たりにくいというメリットがある)

木登りだって、背の高い子が行けそうにない所まで行ける。大縄跳びも一番前。

なぜって身が軽いから

 

中でもアスレチックは得意中の得意。

ターザンを体感できる遊具とかめっちゃ好き。

端(ゴール)に到着すると同時にジャンプして降りられるくらい得意。

なぜって?

はい、もうお分かりですね。せーの

身が軽いから

 

でも、体育の授業ではハードル走か、あって鉄棒。

なので、成績は万年「2」(5段階評価)

くっそくっそ!

 

体育の成績が2だと、内申にもひびく

体育の成績が2で何が嫌って、高校受験での内申。

他の教科が4やたまに5があっても、この「2」一つが注目される。

成績表だけ見たら、身長書いてないから

「あー、典型的な勉強出来てスポーツできないタイプかぁw」

と思われる。

 

くっそくっそくっそーーー!

ま、今となってはあの時ほど動けないから何とも思わないけど(・▽・)

 

 

皆は「白」と「百」って読めますよね?

渾身の力を込めて丁寧に書きました!

しろ

ひゃく

白(しろ)と百(ひゃく)です。

大丈夫ですよね。

 

事件は息子の漢字練習で起きた

百が全バツにされ「やり直し」

私、「百」って「白」の上に「一」をつけたものだと思ってたんです。

このパソコン上では同じに見えると思うんですけど、息子の漢字ドリルでは、先程私が書いた文字が記されていました。

そう。

しろ

ひゃく

これです。違いがわかりますか?

ちょっとをつけますね。

しろ

ひゃく

わかりましたか?

白は「ノ」の部分が左端にくっついてて

百は「ノ」の部分が「日」の3分の1くらいのところにくっついてるんです。

この、「ノ」の位置が違うということで、◎がもらえず「やり直し」をもらいました。

 

しかし、先生も「百」は「白」に「一」をつけたものと思っていたようで、

今度は「白」を漢字ドリルの見本のまま書いたら全バツにされました。

百の中の「白」──つまり、左端にくっつけてはいけないようです。

 

じゃあ、この漢字読めますか?

はい、「奥(おく)」です。

なんだか間違い探しみたいになってるけど、皆この文字を「奥」だって読めましたよね?

何が違うかっていうのを、またつけるとこうなります。

中にぶっ刺さってる

ぴったりくっついてる

むしろ離れてる。あなたなんて嫌いよ!

ちなみに私は3番目のタイプです。

でも正しい字としては1番目の突き出るタイプです。

だ・け・ど。

 

ハッキリ言って、誰もそんなところ見ていない

文字というのは、読んで書ければ、スムーズにコミュニケーションがとれるようになるから覚えるだけで、「ノ」の位置でその文字を把握しているわけじゃない。

全体の形を見て、この文字はこう読むと判断しているだけ。

 

息子は「漢字ドリル(見本)」をとるか「先生の直し」をとるか悩んでしまった

漢字ドリルは「ノ」が左端。

先生は「ノ」が真ん中寄り。

でも漢字ドリルと同じように書いたらバツにされて、やり直しになる。

やり直しは嫌だ。どっちを書けばいいの?

 

って感じです。

そこで母(私)は語る。

「どっち書いてもいいよ」

 

  1. 「ノ」の位置がここだから「白」や「百」だとわかるのではなくて、カタチ全体でこの文字だって皆把握していること
  2. もうバツをもらいたくないから、先生の書く「白」を書いてもいい。漢字ドリルの見本通りに書きたいっていうなら書けばいい。漢字ドリルの「白」を書くなら、私が理由を記しておくこと。<選択肢を出してみた>
  3. 多分先生は、最初に教わった文字をずーっと使っていくから、正しい漢字を教えたいって思ってる(はず)。だけど、この「白」が違うのは先生がそうやって教わったからかもしれないし、何でかわからなかったら先生に聞いてみるといい。
  4. 最後に、私は「正しい」書き方よりも、ぱっと見た時にその文字を読んだり書けたり出来ればいいと思ってるし、適当に書こうとしないで、ちゃんと書こうとするその気持ちがスゴイと思う

 

息子小学1年生(2016年度)ですけど、こんなこと言ってもわからないと思いますか?

私は、相手がどんなに子供でも、言葉がわからなくても、感覚としてちゃんと伝わっている部分はあると信じてます。

今はわからないけど、大きくなってわかったとかね。

 

ホントにね、大人になって書き順のことを言われるわけでもないし、字のキレイ読みにくいだってあるし、そんなこと誰も気にしません。

伝われば、それでいいんです。

 

 

子供時代にどーでもいいことでねちねちと怒られると、どーでもいいことに敏感になりすぎて前に進めない

私のこの「どーでもいい」も、本当は「どうでもいい」って書かないとダメですよね。国語的に。

でも、私は「どーでもいい」感じを強めたくて、自分の気持ちを表すためにも「どーでもいい」と打ちました。

私のその気持ちの強さは伝わらなくても「どうでもいい」っていう言葉は伝わりますよね?

 

「どー」でも「どう」でも、どうでもいい。

ちゃんと伝わる。

そんなどーでもいいことをほじくり返されて、どうでもよくなくなる。

これって、おかしくない?

と、思うわけです私は。

どーでもいいことをほじくり返して何がしたいんですかね?

自分のやることを増やさないで欲しいとか、周りからの自分の評価を下げないで欲しいとか、そんな感じですよね。

 

どーでもいいことはどーでもいい。

いつまでも餌のない土を突いてないで、餌のある土地へ飛びだったらいいのに。

そーゆーことッス。

 

 

個性的な人でないと「天才」にはなれない

個性がないって、無難ってことです。

無難ってことは、頭を使わないし自分の感覚というものも鈍いってことです。

難しいことが無いから。

 

逆に、難しいことが有るって何て言いますか?

そう

有難い=ありがとう

です。

 

日本語って面白いんだから、こういう風に文字を覚えていったり、五教科も楽しく生きる術として利用すればいいのに。

走るのが遅くても、理科の実験が面白くて色んな事をやってみる子がいたら、体育の成績をあげるのではなくて理科の成績を褒めて伸ばせばいいんじゃない?

国語が苦手で文字で気持ちを表現するのは苦手だけど、絵なら自分の気持ちを表現できる!っていうなら、その好きなこと=才能を伸ばせばいいんじゃないですかね?

 

皆同じで、そこから何か生まれますか?

生まれませんよね。

 

わかりやすく言うと、

男同士で子供は生まれませんよね?

男女が違うから、子供は生まれる。

 

二つ(以上)の力が重なって、違うものが誕生する。

その一つ一つの力の強さにもよるし、力の数にもよるけれど、

まず力そのもの(個性)が違わないと、何も生み出されないですよね。

はっはっは。ちょっと頭いいこと言ったな今回。

 

 

そもそも、宿題をなんでやるのか?を考えた方がいい。そこに教育の核心があるよ

そもそも、何で宿題ってやるんだと思いますか?

私が子供の頃や、あんまり深く考えないイメージで答えると

  • やらないと先生や親に怒られるから
  • やらないといけないことだから
  • 皆やってるから

 

・・・・・・

おほう( ゜▽ ゜)

見事なまでに「仕方なくやらされてる感」が満載☆

 

ホントはね、私が思うに

  • 一回やっただけじゃ本当に理解してないから、何回もやることで自分のものにできる
  • 色んなパターンを練習すること(基礎を学ぶこと)で、どんな場合にも対処できるようになる(応用がきかせられる)
  • 「わからない」にぶつかった時、どうすればいいかを考えるチャンスになる
  • 宿題を「いつ」やるかで、どういう気分になるかを知ることができる⇒それにより「時間」を意識できるようになり、計画を立てる(時間配分をする)ことができる

宿題をやるっていうのは、こんないいことが待ってたりできたり、たくさんのプラス要素があるからだと思ってる。

 

だから、宿題をやるっていうのは、本当は大事なこと。

問題は、それを「やらされてる感」があるってこと。

 

できなかったら、やらなかったら。

「何で(できないやらない)?」よりもまず

できたところを褒めようよ。

 

それから「何でかな?」「こうしたらいいんじゃない?」とした方が絶対いい。

 

 

「できた」が褒められずに、「できない」を怒られ続けていたら、

人はやる気をなくします。

 

どうせ、やったって褒めてもらえないし、やりたくない。

そう思うのってごく自然だと思います。

私はそう。

できないところばかりを怒られ続けてると、本当に自分は「できない人間」なんだって思っちゃう。

自信なんて微塵もなくなる。

そういう経験したことあるから、言いました。

 

怒られたくないからやるのだって、その子の身になっているかというと、なっていない。仕方なくやってる。

仕方ないって、やりたくないってこと。

やりたくないってことは、熱中できない嫌なこと。

嫌なことって自分の中にプラス要素として入ってくるかといったら、入ってこないですよね?

はい、身になってないです。

ただ、やってるだけです。

皆がやるから、やってるだけです。

皆が同じことをやるから、やってるだけです。

皆が同じ作業をやるから、やってるだけです。

 

だから私は、日本の教育って作業員育成所だなって思います。

 

 

じゃあ子供に「やらせてる感」を抱かせたくないんだけど、どうすればいいの?

私が考える解決策は

自分も宿題をやる時ってこう思ってたよ

とか、

宿題をやるのって、本当は楽しいんだよ(理由は自分で見つけないとダメですよ)

とか、「自分が体験して感じたことや、自分の考え方を子供に話せばいい」です。

 

どう考えたって子供より自分の方が先生でしょ?

「先に生きてる人」でしょ?

先生から何を教わりたいですか?

色んな「何か」ですよね。

 

だから私は、色んな大人が先生として子供達に「生きる上で大切なこと」を教えて欲しいって、しょっちゅう言ってるんです。

特別なことでも、偉いことでもなく、「自分」を教えていけばいい。

押し付けでも強制でもなく、ね。

 

色んな先生を見て、どの先生が好きだなとか、これはこの先生に教わろう!って子供達が自由に選べればいいんじゃないですか?

そうやって色々なことを見て、学んで、個性ってできると思うんです。

カラフルな人になる。

 

そんな人がたくさんいたら、めっちゃカラフルになって、素敵な世の中になるんじゃない?

おんなじような色ばっかりじゃ、つまらないでしょ。

お花屋さんに行っても花がなかったり、緑か茶色しかなかったら「え?お花屋さんですよね?」ってなるっしょw

カラフルなお花がたくさんあるから、お花屋さんが綺麗で素敵な場所になる。

 

世の中だって、同じじゃよ。ふぉっふぉっふぉ。

 

はー。5700文字も書いちゃった☆

皆もお疲れ!!

こういう話するの楽しいから、ついついしゃべっちゃった。

またコメントでも熱く語るぜ!!w

 

ほんじゃ、読んでくれて戦キューヾ(*´▽`*)マタネー♪

 

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ばなやんヒューマンディレクター / 声優小説家
「自分らしく楽しみながら日々を生きる」をテーマに文章を書いてます。笑顔があふれる世界にしたい。そんな想いをもつ人のちょっとしたきっかけになるといいな(灬╹ω╹灬)モキュ #40代シングルマザー #ゲームも大好き