楽曲提供|音楽の卵|ふわりと甘い休息
また夢を見た。
昨日のことが思い出せない夢だ。
昔からたまにこの夢を見るのだが、あまり気分の上がることではないので、見たくない。だから理由を考える。
きっと私は、焦燥感にかられているのだろう。
それこそ、相方の左近ちゃんと出会ってから、約4年がたったころだと思う。
この時の記憶があやふやなので定かではないけど、自分のために小説を書いていた時だった。
「右近ちゃんは、生き急いでるように感じて、何だか心配」
と手紙で言われた。
なんだか、衝撃だった。
それこそ、本当に25年くらい経っているけど、
私は中学1年生の時から、自分は長生きできないと思っていた。
50歳くらいで死にそうだな、と漠然と思っていたのだ。
この時に感じたことと、今と、さほど変わっていないのがタイトルにもあったこと。
私は死ぬことよりも、死ぬ時に何も残せなかったことの方が怖い
自分が生きてたことを、誰かに覚えてもらいたいのかもしれない。
でも今は子供達がいるということもあって、理由がプラスされた。
未来を生きる人達にとって、ちょっとした『生きる攻略本』を残したい。
多分、こんな想いがあるのは男性に多いと思う。(遺伝子を残す力が強いってことで)
だから、きっと何か通ずるものがあるだろう。
自分のために書いた小説。
それは一度完成しているから、それでいいと思っていた。
だけど、今になって伝えたいことがもっと増えた。
なので、新作として伝えたいことを加え、書き始めた。
今度は自分のためでなく、人のために。
「もし●●だったら?」という仮定で残す方法を考えたこともある。
「もし、目が見えなかったら?」──音声で残そう
「もし、耳が聞こえなかったら?」──文章で残そう
「もし、文章ではわかりにくかったら?」──ゲームにしたら楽しそう
そんな「もしも」を実践したこともある。
これからやろうと思うこともある。
だけど、それより何より、一番先にやらなければならないことは「伝えたいことを書き遺す」ということ。
今の私はこの使命をまっとうしたいがために、焦燥感にかられているのだろう。
50歳を過ぎても生きていたら、ラッキーと思おう。きっと私のことだから、また楽しいことを見つけている。
とにかく、今できることを。
相変わらず生き急いでるけど、「がむしゃらに生きたなぁ」という満足感の方が強くて楽しい。
私の中での生きるキーワード「楽しい」
私は根っからの愉快な人である。
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